大内氏【検証】
①重弘が、組織指導力により、周防国内の武士を家臣団に組み込み勢力を作り上げたのは間違いなさそうである。
②弘幸は、向上心に富み、目の上の障害物である叔父に懸命に対抗していたようである。
③弘世は、陰謀力あり、強敵の長弘一族や守護を策を弄して服従させあるいは放逐したようである。また、南朝に味方したり北朝に寝返ったりと、足利尊氏を巧みに翻弄し2か国守護の地位を手に入れた。
④義弘は、正義力あり、味方すれば一心に足利に尽くし南北朝統一に頑張ったようである。ただ独善的になったのだろうか、疑われてしまった。自分にやましいところはないとばかり、足利の非を問い反乱を起こしたのだろう。
弘茂は、向上心に富み、以前から兄の家を乗っ取ろうと野心があったようである。見事成功したが、安定させることができず、討たれたのか。
盛見は、正義力あり、弘茂に与えるのはおかしいと抗議し反抗したようである。いわばごり押しが効いて、2か国守護を得た。ただ独善的な支配のため組織が安定せず、北九州での敗因になったようである。
⑤持世は、組織指導力あり、北九州の統治に成功したようである。ただ内向きは強いが他の守護大名たちとの外交力を欠き情報を得られず、危ない場所に行ってしまい死ぬ羽目になったようである。
⑥教弘は、突進力があったが、どうも生かせてなかったようである。教幸の異彩力にかきみだされたか。
⑦政弘は、組織指導力あり、山名死後の西軍総大将として東軍との対峙に成功したようである。帰国後は、分国法により、下克上しようとする家臣を統制することに成功したようである。
⑧義興は、異彩力あり、自ら上京して幕府政治を行う異色の行動をとった。足利幕府に、さぞかし大きな波紋を広げたことであろう。ただ組織が固まっていなかったようで、留守中に隣国からつけ入られた。
⑨義隆は、組織指導力あり、統治貿易文化全ての面で充実したようである。勝負は時の運で、負けることもある。義隆がすべきだったことは組織固めでしかもその能力があったのだが、怠ってしまったようである。滅びるのも、当たり前といえる。最後は、陶の異彩力に惑わされたようである。
⑩義長は、知略と陰謀力を兼ね備えていたが、いかんせん陶の傀儡にすぎず能力を発揮できなかった。