最終章-12
式は順調に進んだ。
遙は、俺たちの代表として卒業証書を俺たちの誰よりも早く受け取った。
それが、今の俺たちがアイツに出来る最後の優しさだったのかもしれない。
そして、全クラスの卒業証書が渡し終え、校長がそのまま祝辞を始めた。
それは、五分もしないうちに終わり、役目を終えた校長は舞台から降りた。
そして、舞台に誰もいなくなったのを確認した進行役の教師が抱えていたプログラムに視線をいったん落としてから、マイクに向かっていった。
「在校生祝辞。在校生代表――」
呼ばれたのは、現生徒会会長の男子生徒だった。
その生徒は、緊張なのかあるいはもっと違った何かによってなのか、動きがどこかしら機械的な流れになっていた。
それでも、彼は無難に舞台に上がり、用意しといた祝辞を読み上げた。
勿論、その初めのころの声は動きと同様にぎこちなかったが、進むにつれそれが消えていった。
そして、それも五分もしないうちに終わった。
さて……来たか……
俺は、自分のブレザーのうちポケットに仕舞っておいたものにブレザー越しに触れた。
確かにそこにあるのを、俺は感じた。
そして――その言葉が、スピーカーから響いた。
「卒業生答辞」
俺は、瞼を閉じた。
自分の心境を抑えるために。
そして、アイツのことを思い浮かべるために。
本来の主役のアイツを――
「卒業生代表。此方遙。代表代役、玖珂久樹」
「はい!!」
俺は、強く返事の声を上げた。
アイツに聞けるように――
そして、ゆっくりとあの舞台へ向かって歩みだす。
右足を出して――左足を出して――
見えてるか?遙?俺はお前の代わりじゃない。
体育館全体を見回し、俺は内ポケットから白い封筒を取り出した。
ゆっくりと、それから三つ折りされた形で収まっていた紙を取り出した。
それに書かれているのは、答辞。
アイツが書いた、アイツの答辞。そして、遺言。言葉。意思。思い。
俺は代わりじゃない。俺はお前だ。
俺は、それを読み上げた。
いや、読み上げたのは俺ではなく――遙だ。
「春の温かさが増す中、今日を持ってこの場所を卒業していく僕たち」
マイクに入った声がスピーカーから放出され、体育館内に俺の声が響いた。
いや、響いていたのは俺の声ではなく、アイツの言葉だ。
「こうして、立派な卒業式に参加できたことは、自分たちの力だけではなく、数多くの先生方、そして僕たちの両親や家族の方々のお陰だと思います」
二人は、保護者席に座って、その言葉を聞いていた。
遙の両親――遙奈と郷弘だ。
そして、二人は既に分かっていた。
この式に、自分の愛息子が参加していないことを。
だけど、彼は自分たちの前で、卒業証書を受け取った。
それも、クラスの代表として。
「三年前の春、僕たちはここに入学してきました」
「初めて知り合った友達。そして、小学校からの友達。その時は、新しい出会いが溢れ、僕たちを迎えてくれました」
加原は、自分の診察室にいた。
そして、この日は休みだった。が、センターそのものが休みではなく、医者のローテンション内では、加原の担当になっていないだけ。
それでも、加原は自分の診察室に来ていた。
他の医師なら間違いなく自宅やプライベートの時間にするのだが、彼はそのどれもに属しない。とは言っても、一応帰る場所はそれなりにある。
ただ、帰りたくないだけ。
加原は、自席の机の中から閉まっておいたカルテを取り出した。
『此方遙』
その表紙に書かれている人名。
そして、この一年間だけ彼が受け持った患者。
まだ中学三年という若さでありながら、ほんのそこらの大人たちとは違って生きていた少年。そして、自分のその生き方を目の当たりにして参考になったことがあった。
だけど、彼の人生は定められた時間と共に終わってしまった。
一人の医者として全力を尽くしたはずだが、悔やんでいる自分がいた。
どんなに知識を持っていたとしても助けることが出来ない状態だったが、自分の知識の甘さに気づかせる少年だった。
そして、彼が終わってしまった共に自分に喝を入れさせられた少年だった。
「僕は、この三年間がいい日々であったと思います。いいえ、いい日でした。いろんな人と出会い、対等、別れ、勝負――そうしあって、僕たちは大人への階段をともに歩いていきました」
こよみはその言葉をじっと聞いていた。
一文――いや、一文字たりともの聞き逃さないように。
そして、その中でも、過去を自分の頭の中に思い浮かべさせていた。
走馬灯――いや、アルバムのように。
一場面ずつ、写真のように。
「ですが、僕には突然僕には時間がなくなりました。いいえ、完全になくなった訳ではなく、限界が決まってしまいました。その時は、絶望を感じ、生きることへ挫折し、いつそれが来てもいいと思っていました。つまり、死ぬことへの覚悟が出来ていました」
ゆっくりとそこに書かれている文字――いや、文を読み上げる久樹。
そして、自分のクラスのほうを一見窺った。
そこには、空席が一つだけあった。
いや、最初から空席になったわけではなく、つい先ほどなったんだ。
そして、視線を戻し、続きを読み上げた。
「その時は、世界があまりにも小さく、過酷で、残酷で――普通に生きている人たちが羨ましく、遊んでいるだけの大人が憎く、何も考えてない同年代の人たちまでも憎くなりました。そして、僕はその解決法を見つけ出しだしました。ですが、それは解決法ではなく、今よりも更に厳しい状況にする火種。自分でもそのことは分かっていました。でも、そうするしか出来ませんでした。先生方や父さん・母さんにも相談しました。その結果、自分で決めた答えがこれでした。そして、その結果、それは裏切ることなく予測していた通りの結果を導いてくれました。いいえ、予測以上の厳しいものになりました」
確かにそうだった。と、久樹は確信した。
あの時の遙は、まさにそれだったと。
「それでも、僕のことをずっと見ていてくれた人がいてくれました。先生方や家族ではなく、友達。時には当たったり、時には理解しあったり――そんな友達がいてくれました。でも、実際の僕は、僕がいなくなっても悲しむ人が少なく済むようにしたかった。だから、わざと冷たく当たった時が在りました。でも、長い間築いた友情という柱は、それくらいでは崩れることがなく、ただ自分の愚かさを逆に教わるだけでした」
三年三組の教室。
遙は自分の席に着き、机に腕を枕にした常態で丸まっていた。
「そして、時間が経つにつれ、僕は自分が行った過ちと愚かさに気づかれ、理解し、時間を取り戻そうとしました。ですが、完全に空いてしまった時間を取り戻せる訳ではない。取り戻せる時間が、僅か少しかもしれないし、場合によっては取り戻せないかもしれない。ですが、そんな状況にしてしまったのは自分だから、仕方ないことだと分かってました」
卒業式が行われている体育館。
今、その場を制しているのは、沈黙と言う空気。だが、重いわけでもなく軽いわけもない。
しいて言えば、すごし易く、感じやすい沈黙だった。
そして、その中で俺は最後の一文を読み上げた。
「最後に、今日卒業するみんな。卒業おめでとうございます。みんなには、未来があり、用意されている。だけど、その未来は真っ直ぐな何もない一本線。後は自分で、自分の未来を築いてください。そうすれば、立派な一本線になります。諦めないでください。そして、僕たちをここまで導いてくれた先生方。今度は、僕たちの後輩を導いてください。僕のような生徒はいないかもしれませんが、誰もが生きることへ理解し、未来を見つめられるように導いてください。在校生の皆さん。ここにいる先生方は立派な人です。もし、挫けそうになったら、もし自分の過ちに気づいたのなら、先生方に相談してみてください。きっと、すばらしい答えへ導いてくれます。最後の保護者の皆さん。あなた方の子供は、ここを卒業して、それぞれの新しい人生へ進みます。そこには、いろんな誘惑や挫折への道があるかもしれません。そこへ行かないように、見てください。直してください。それが最初に出来る存在は、家族です。ですが、下手な言葉で攻めたりしないでください。個人性をなくすような真似はしないでください。個人性を失った時は、人としての個人ではなく、ものとしての個体になってしまいます。その辺は間違えないでください。人の個人性を主張し、尊重した上で、正しい道へ直してください」
自分が泣いているのが分かった。
心が。いや――何もかもが。
そして、泣いているのが俺だけではなく、この場全体が泣いているのが感じた。
空気が泣いている。
沈黙と言う空気が泣いている。
個人性を持った同じ卒業生が泣いている。その保護者が泣いている。
俺たちの後を追ってくる在校生が泣いている。
来賓の人たちが泣いている。
そして――導いてくれた先生方が泣いている。
俺は、その中でこの中で一番重要とされる最後の一行を読み上げた。
「最後に――」
二人は涙を流していた。
とても、温かい言葉に。
そして、自分の息子の最後の言葉に。
「最後に――」
だが、その言葉には続きがあった。
それを久樹が読み上げた。
「父さん・母さん。産んでくれてありがとう。育ててくれて、ありがとう。そして――先に逝ってしまって、ごめんなさい。泣かせてしまって、ごめんなさい」
遙奈は泣き崩れた。口から今にでも出てくる嗚咽を我慢して――流れてくる涙を抑えて―
その右隣に座っていた郷弘は、涙を流しながらも、彼女の方を抱いた。
優しく――温かく――
「そ……しゅぉしゅて……」
答辞を読み上げる久樹の声は震えていた。
彼らのクラスからは、嗚咽が響いていた。いや、それはこの場にいる誰からもかもしれない。
教師たちも同じだった。
「生きていられたことに幸せでした」
こよみは声を上げ、泣いた。
いや――そのクラス全員が――
久樹も声を上げたかった。でも、今はあげないように我慢した。
遙奈は声を上げ、泣いた。『遙』と……
「卒業生代表、三年三組此方遙。代表代役、玖珂久樹」
久樹は、泣きながら、それを元の形に畳み、自分前に立つ校長に渡した。
そして――自分たちのクラスの方を向き、叫んだ。
「三年三組、起立!!」
それは、突然のことだったが、誰一人として反応に遅れることなく起立した。
「三年三組卒業生代表、此方遙に、卒業おめでとうございます」
久樹は、遙がいた空席のほうを見下ろしながら、頭を下げた。
「おめでとうございます」
それに続くように、クラス全員がその空席のほうを向きながら一斉に頭を下げた。
そして、久樹が頭を上げ、再度叫んだ。
「ありがとうございました」
再度、その方向へ頭を下ろすと、クラスも続くようにおろした。声を出して。
そして、彼は頭を上げ、教師人側を向き、三度目の叫び声を上げた。
「卒業生全員起立!!」
突然のことで、反応が遅れる生徒もいたが、難なく全員が起立し、全員が教師陣側を向いた。
「ありがとうございました」
久樹は、何度目かの頭を下ろした。
そして、それに続き、卒業生全員が頭を下ろした。
 




