一夜一夜に人見頃
丹木貴人【ニキ タカヒト】
通称ニキ。地方でも有数の金持ち家(日本屈指の財閥家の分家の分家)の一人息子だが超がつく程の貧乏性。守銭奴でケチ。
有名な私立高校、北条高校に通っていることから分かる通り、勤勉家でコトヒコとは違う頭の良さがある。
コトヒコ程口は悪くはないが女の子が大好き。
「ねえコトヒコ」
夜が止まった街の中。
街灯も輝きを無くし、街は月明かりだけが頼りの状態にあった。
駅の裏路地から郊外方面へ少し向かった先の信号、その信号待ちの途中でタマキがコトヒコの小脇を突つく。
「なんだよ」
「確かに今一番怪しいのは銀月くんかも知れないけど、いくら何でも警戒し過ぎじゃないの?」
当の銀月は、二人から少し離れた場所でニキとツグミに挟まれていた。
「とっとと夜を終わらせないと明日にならないし、とにかく俺は眠いんだ。疑うものは片っ端から疑っていく。」
アキは俄然留守番だ。
そんな中でコトヒコが止まった夜の異変の原因に疑いをかけたのは銀月だった。
「それとも未知の生物を擁護するってのか?」
「銀月くんは人間でしょ?」
「どうかな」
「どういうことなのよ。月から来たから宇宙人だって言うの?」
声を荒げるタマキの口に人差し指を当てるコトヒコ。それだけでタマキは静かになった。
「声がでけぇ。夜は止まっても人は動いてんだ。少し静かにしろ」
「……ごめん」
後ろを振り向き、銀月の様子を見る。
銀月はタマキを見つけて、参ったなと言いたげに苦笑していた。
「それで、コトヒコ君。君はどこへ向かおうとしてるんだ?」
信号で距離も詰まり、銀月がコトヒコに尋ねた。コトヒコは銀月を一瞥して遠くの一角を指差す。
背丈の大きなフェンスに四方を塞がれたそれは、鉄骨の電線の伸びる塔と真四角の小屋だ。
「変電所?」
ニキの言葉にコトヒコは頷く。
「今の今まで見てきただろ。夜が止まった挙句に、街灯まで綺麗さっぱり消えてやがる。もしお前に夜が止まった原因があるなら街灯も同じだ。」
「あくまで俺を疑うことを曲げないのか。」
「逆に、お前を疑う他が見当たらねえ」
「コトヒコ!」
それまで黙ってきたタマキだったが、二人の間が一触即発になったことで、我慢の限界が訪れた。コトヒコに掴み掛かって声を荒げる。
「流石にそれは言い過ぎ。銀月くんは追っ手に追われてきたって言ってたし、私もその追っ手を見たの!」
灰色の目線が鋭くタマキを刺して、片手だけで彼女を振りほどく。
強い力に押されたタマキはよろめきながら後退した。
「だからと言って、それが全てじゃないだろ。追っ手の仕業かも知れなくとも、まずはこいつの素状を暴いてからだ」
コトヒコはタマキに対してそう言い切った。そして、変電所のフェンスをくぐろうとした、その時。
「……納得するかっつの!」
タマキの蹴りがコトヒコの背中に直撃した。
大きな音を立ててコトヒコはフェンスに激突する。
「おい、タマキ!」
ニキがタマキを止めに入ろうとするが、あまりにも突然の事で身体が咄嗟に反応しなかった。
その隙を突いて、タマキは銀月の腕を引いて走り出した。
「待て!」
ニキもその後に続こうとするが、
「いい。追うな」
という、コトヒコの冷静な声に立ち止まらざるを得なかった。
フェンスから身体を起こして、コトヒコが心底面倒臭そうにため息を吐く。
「あいつが感情的になって突っ走るのは今に始まった事じゃないだろ」
「確かにそれもそうだが……」
ニキが心配そうに後ろを振り返る。もう二人の姿は見えなくなっていた。
「ま、もしかしたらこの行動で奴の正体が分かるかも知れないからな。あのバカはほっといて俺達は俺達で調べるぞ」
「いやぁ……なんていうか、ごめんね。」
しばらくの間、月明かりだけが頼りの街中を走り抜けて二人が辿り着いたのはベンチと噴水だけが寂しく置いてあるだけの公園だった。勿論、この公園にも街灯は付いていない。
「いいんだ。彼の言ってる事は本当だし、俺が疑われるのも仕方が無い。」
ベンチに腰掛けて、タマキは銀月を心配そうに窺っていた。
「それより、君はいいの?」
「私?ああ、私は平気だよ。いつもコトヒコとはあんな感じだし。いつも落ち着いてるコトヒコと私じゃ、よくぶつかるの。」
タマキこそ気丈に振舞っていたが、やがて月を見上げて、銀月に顔を向けないで呟いた。
「きみ、さ」
「運命の出会いって信じる?」
突然の問いに、銀月はぎょっとした。
「え、いやー……」
空を仰いで、同じく月を見上げてみる。
時間の止まった夜空に浮かぶ、奇妙なほど大きな月。
見る度に、悔恨のような、諦観のような感情が銀月の心の中で浮き沈みする。
「……俺には、分からない」
「地上に墜ちた時から考えていたけど、あえて言うなら俺はまさしく、運命に逆らってきてしまったんだ。だからこれから先の『出会い』も、『運命』も、よく分かりはしないーーーーーー」
隣でタマキは気難しそうな顔をした。
それは、銀月の感情に、何も言い出せないという沈黙ではなく。
銀月が一体何を言っているのか、それが分からずに黙りこくっていたのだ。
それでも明るく振舞ってしまうのが、彼女だった。
「あ、えっとさ、私にもいるよ。その……、後悔してるっていうか、気持ちを引きずってる人というか。」
「一度滅茶苦茶ケンカしたの。もう二度と仲直り出来ないと思っていたし。」
「それで、その人とは今どうしてるの?」
銀月の問に、タマキは淋しそうに微笑む。
「今は、仲直りして同じバイト先で働いてる。でもその人には年上でグラマラスなおねーさん系の恋人がいてね……」
茶化すように笑ってあまりにも足りない胸を強調したが、やはり足りないものは足りなかった。銀月の苦笑で終わる。
「本人は否定してるけど、絶対そう。」
「人から言われなくても、察することってあるでしょ?友達とギクシャクした時しかり、他人と衝突した時しかり。」
タマキ本人は気付いていなかったが、銀月から見てみれば、彼女はより一層暗い顔をしていた。
「でも、君はその人と一緒にいるじゃないか。それだけでいいことだよ。もしかしたらその人の言っていることが本当で、君の思い込みかも知れないよ?」
「そんなことないよ」
『思い込み』という言葉に反応して間髪入れずに否定をする。
「私、そういうの敏感だから」
「それでも君は、その人と一緒にいられる。たとえその人に恋人がいたとしても、君が一緒にいられるの相手が君を認めているからじゃないのか?」
「きっとただのお邪魔虫だと思ってる」
「保証はあるのか?」
「恐らくね。だから、雰囲気で分かるの」
タマキが銀月から目を離した、その時、突然銀月は荒々しく立ち上がり、感情的になって叫んだ。「それでも君は!」
急に大きくなった銀月の声に、少しだけ身体が跳ねる。
しばらく銀月も呼吸を乱して、無言でタマキを睨んでいた。コトヒコと睨み合った時でさえ感情を表に出さなかった銀月だが、ここに来て、ひどく感情的になった。やがて呼吸を落ち着かせ、先ほどと同じ落ち着いた声で続けた。
「君は……大切な人と同じ時間に、同じ場所に居られるじゃないか……」
「ご、ごめん」
タマキが平謝りをするが、銀月は頭を俯かせ、何も言い出さなかった。
先ほどとは違う、気まずい沈黙が二人の間に流れる。
「その……銀月くんの大切な人は、もう、会えない人なんだよね。きっと月の人だと思うけど」
場を繋げようとしたタマキの言葉に、銀月が僅かに頷く。それ以降は喋らなかった。
タマキはこの現実に頭を抱えた。
「(まずいこと言っちゃったよな。確実に……)」
横目で銀月を見れば、丁度月光が銀髪に反射して陰りになっていて表情は読めない。
心の中の不安は、ただひたすら募るばかりだ。ケータイを開いて時間を確認しようとしてみたが、十一時四十五分で止まっている。そうだった。夜が止まっているんだった。タマキは更に気を重くして、銀月を見た。
一度間を置いて、タマキはすくりと立ち上がり一直線に噴水のほうへ歩き出した。
気配を感じ取った銀月も目線を上げる。
縁に手をかけると、突然
「ごめん、頭冷やすわ!」
と、叫びながら噴水に顔を突っ込ませた。
「ちょ、ちょっと!何バカなことやってるんだ!」
陰っていたはずの気持ちは一気に吹き飛び、青ざめた顔で噴水からタマキを引き剥がす。
タマキの黒髪から雫が滴り、パーカーを濡らしていた。それでもタマキは平然として銀月を見つめている。
「いや、反省。私頭から水被るとちゃんと考えられるから。悪いことしたし」
「それにしてもやり過ぎだよ、それじゃあ君がまるでーーーーーー」
「『地上には気の狂った女が居るものね。銀月?』」
声。
タマキのものでもなく、銀月のものでもない。機会音声と少女の声が混ざったようなものが聞こえてきた。
「あ、あぁ……」
掴んでいたタマキの肩を手離し、よろよろと後退していく銀月。顔は先ほどよりも更に青ざめ、幽霊にでも遭遇したような顔だった。
タマキも自分の背後から聞こえてきた声に降り返りーーーーーー返り際に身を翻してバク宙からのハイキックを『それ』に繰り出した。
しかし捉えた感覚は無く、銀月を庇うように『それ』と対峙した。
「『銀月。やっぱり私を裏切るんだね。
穢れた地上に墜ちて、人間と手を組んで、堕落する所まで堕落して。それとも"月"そのものを裏切るつもりなの?私よりも、性根腐ってるんだねーーーーーーアハハッ!』」
無邪気に聞こえる言葉も、声は邪な雰囲気を孕んでいる。『それ』は、水面に写っているかのらように揺れていた。
漆黒のドレスに、スミレ色のヴェールを纏い、銀の三日月の杖を持つ少女。
「新月……」
銀月が口を震わせ、歯を鳴らして小さく呟くと、少女ーーーーーー【新月】は口角を吊り上げ三日月型に口を張る。
「『アハハハハ!』」
「『哀れな脱兎だね、銀月。そうだよ銀月はそうやって苦しむのが一番だよ。』」
地面に靴の痕を付けながら後退していき、ベンチにぶつかって崩れ落ちる。酷い汗の量で、恐怖に煽られた顔で新月を見ていた。
「あなたが月からの追っ手かあ」
タマキが新月を見て呟く。
普段のタマキの表情に戻ったものの、警戒は一切解いてない。体育館倉庫の時とは違っていた。
「私のこと、『気狂い』なんて呼んでたみたいだけど、別にいいよ。」
「私そういうの嫌いじゃないから」
その一言が合図だ。
強く一歩踏み出して新月の懐へ潜り込む。
左手を地面に着いて、下から上への脚での攻撃を二連発繰り出す。
しかし、打ち捉えた感覚は無く、ただ空を切っただけに終わった。
「水……?」
例えるなら、水に脚を打ち付けた感覚だ。
しゃがんだ状態から顔を上げる。新月は三日月型の口の笑みを浮かべたまま何一つ変化ぎが無かった。
「『人間は野蛮だね。』」
新月の杖の先端がタマキの頬に充てられる。
杖を掴もうとするが、やはりタマキは水を掴んだだけに終わる。
「(やっぱり、こいつは実体じゃない。)」
タマキは確信はしたものの、具体的な事はあまり分かってはいない。
「(打開策は……このニセモノの仕組みをどうにかしないと)」
「……ッ!」
思考はそこまで追い付いてはいた。
けれどもそこでタマキの意識は強制的に切られた。杖の先端から閃光が走り、タマキの頬に直撃する。彼女は小さく悲鳴をあげてそのまま倒れ込んだ。
「『穢い』」
虚像であるはずの新月がタマキを忌々しそうに蹴り飛ばす。
その間も、タマキはぴくりとも動かなかった。
「『これで終わりだよ』」
杖は、銀月に向けられる。
銀月のか細い悲鳴を嗤い、新月は顔を歪めた。
「『大嫌いな銀月』」
「『私を裏切った銀月』」
「『自分の名誉しか大切にしない銀月』」
「『お姉様しか見ていない銀月!』」
新月の杖が銀月を引き裂こうとして振り上がる。
「あ、あぁああ……!」
その杖が、振り下ろされたーーーーーーかと思われた。
杖の先端は、銀月の顔の前を掠って終わる。
「『……うん?』」
新月も見当違いの事態に首を傾げる。
もう一度銀月に向かって杖を振り上げるが、今度はその腕もろとも地面に落下した。
「さて、化けの皮でも剥ぐかね」
新月の隣から聞こえてきた声は、ニキのものだった。
その瞬間、握りしめていたアンティークの長い鋏が新月の胴体を真っ二つに切り離した。
「『何で?水は切れないはずじゃないの?』」
身体を切り離されながら新月は叫ぶ。
ニキは鋏を指で回して答えた。
「残念だな。俺の鋏はそういうシロモノなんだよ。勉強不足だ。」
タイミングを見計らったように、公園の街灯が着いた。久し振りの人工的な明るさにニキと銀月は目を細める。
「良かったな」
ニキは表情明るく、銀月に向かって言った。
「シロだぜ」
銀月の目の前、ニキのすぐ隣。
そこには大小四つの水溜りがあるだけだった。