ようこそシルクハットへ!
鳴神琴彦【ナルガミ コトヒコ】
通称コトヒコ。灰色の瞳に細くて長身の青年。目つきが良くないことから愛想が悪く見えがちだが面倒見がよく人受けはいい。が、騙されてはいけないのが身内には非常に口が悪いこと。心ない冗談が次から次へと飛び出してくる。
ちなみに成人はしていない。だがタバコは辞めない。彼のタバコ代のほとんどはツグミがアルバイトで稼いできた給料から出ている。
鋭い発想力と炯眼で物事を解決していく、『シルクハット』のリーダー格。
「っあぁあ!」
夢から逃げ出した青年は、悲鳴を上げて起き上がった。
天井が低いのか、頭を梁にぶつけて鈍い音が混じる。
「おっ、おう!?」
突然の悲鳴にベットの反対側にある机の椅子に座っていたニキが反射するように飛び跳ねて同じく声を上げた。
二人は目を丸くして見つめ合う。ニキの手から単語帳が落下した。
「あっ……」
お互いが大きく息を吐く中、先に落ち着きを取り戻したのは青年の方だった。
「すいません、取り乱してしまって」
「あ、ああ良いんだ。こちらこそいきなり悪いな」
大きく深呼吸をして、ニキは単語帳を拾う。
部屋は仄暗く、机の電気だけが頼りだった。それでも青年の銀髪は際立って見える。
「ここは、一体?」
ニキは難しそうな顔をして顎に手をあてる。
「ちゃんと言えば、十年前に廃業した店の地下部屋かな。でも分かりやすく言うと、君がタマキを運んできた場所だ。」
タマキが言うに、フカフカのベットをご所望だったらしいからな。ニキは机に肘を乗せて微笑んだ。
「タマキ……?ああ、あの子?」
自分のトラウマを一掃した黒縁眼鏡の少女の顔が浮かぶ。
「そ。あのまな板」
「まな板?」
「胸のことだよ。あいつぺったんこだっただろ?」
顔をしかめて思い出してみる。言われて見れば確かに、と青年は苦笑した。
「まあ、人それぞれじゃないかな。」
ベットから抜け出して、自分の足で立てていることを確かめてみる。しっかり足が地に着いていることほっと胸を撫で下ろした。
「……あれ?」
ポケットの中も探ると、顔を険しくして辺りを見回す。
「俺の『ペンデュラム』が、ない」
「『ペンデュラム』?」
「そう。振り子みたいなやつなんだけど……正直、それが無いと俺は何も出来ない。」
また顎に手をあてて唸るニキ。
「それは大変だ。探してやりたいのは山々なんだけど……ちょっと一筋縄ではいかないぞ。」
「と、言うと?」
ニキは何も言わずに青年を手招きする。
上がる度に軋む階段を壁伝いに上がっていくと、古ぼけた光が見えてきた。
「十年前に廃業した雑貨屋なんだ。ガラクタだらけで無くし物なんてしょっちゅうだし、それに……」
そこでニキは押し黙る。
青年には言葉の意味が分からずただただ困った顔を浮かべるだけだった。
だがそれもすぐに青ざめた顔に変わる。
「どう見てもコレは偽物だよ。本物の訳がねぇ」
「えー、そうかなぁ。本物の瑠璃に見えるよー?」
「用途が分からないものは売れないわよ」
「ペンダントにしちゃうとか!」
「アホ、卑猥な形で売れるかよ」
「これを卑猥と言う辺りコトヒコも充分変態だよ」
「じゃあどうするの?」
「そうだな。とりあえず……そこの棚にでもぶち込んどけ」
「ちょっと待ってくれそれは俺のだ!」
相変わらず鈍い瞳のコトヒコがタバコを吸いながら『ペンデュラム』をアキに投げつけた所で、青年が止めに入った。
アキの目の前で『ペンデュラム』を受け止め、ツグミのすぐ足元に倒れ込んだ。
「ぐぶ」
「わわっと!」
ツグミが慌てて足をどける。
青年はそれもお構いなく『ペンデュラム』の無事を確認する。
特に傷付くこともなく、紐も切れてはいなかった。青年は安堵してよろよろと立ち上がる。
「これ、彼の大切なものだそうだ」
「そうなのー?ごめんねー。」
申し訳なさそうにアキが一人掛けのソファーへ座るように促す。
同時に、漆喰のドアが開いて寝ぼけ眼のタマキが顔を覗かせた。
「ふぁ?あれきみいつの間に?」
身体をバキボキと鳴らしながら店内へ。
「気付いたら『シルクハット』の前に居たし……きみの話長すぎて……」
傍に立っているニキに青年は小声で尋ねる。
「もしかして、あのまま放置してたの?」
「いや、一回起こして事情は聞いたけどまた寝たから外に放り出した。」
「むにゃ?」
完全に開いてない目でニキを見つめるタマキだが、ニキは左右に首を振っただけだ。
「まあいいや。ふぁ……あ。さて、ようやく揃ったことだし、自己紹介でもしようか。」
全員の目が青年に向けられた。
タマキが口を開く。
「ようこそ『シルクハット』【ガラクタの秘密基地】へ。」
「おい、それは俺の台詞だろ」
コトヒコがタマキを睨む。タマキは眠気が吹き飛んだ顔でコトヒコに笑いかけた。
「良いじゃない。"私が"見つけてきたんだから」
「いい気になりやがって、全く。」
「まあ、何だ。」
一つ咳払いをして、コトヒコが青年に不敵に笑いかける。
「ここはお前みたいな『曰く付き』が集まる処だ。これも何かの縁、仲良くしようじゃねぇか。」
窓の外から見える大きな月が、気味が悪い程この五人には似合っていた。
青年はここへ来てようやく安堵を覚えたが同時に背筋が凍るような悪寒が走る。
手のひらの『ペンデュラム』を強く握りしめて、一言、五人に告げた。
「俺の名前は【銀月】。にわかに信じ難いと思うかも知れないけどーーーーーー月から追っ手に追われて逃げて来たんだ。」
「俺も俺で変なこと言ったかも知れないけど、君らも君らで変わってるね」
アキから差し出されたコーヒーを啜って、苦笑ぎみに銀月は言った。
「まさか俺の話を鵜呑みにするなんて」
「当たり前だろ」
満更でもない顔でコトヒコが頷く。
「今この街は普通じゃねぇんだ。あの月が見えるだろ?」
コトヒコに目配せする銀月。
その瞳に戸惑いはない。彼が持つ、本来の瞳だった。
「月?何かあったのか?あれはただ気圧の影響で大きく見えるだけのただの月、だろ?」
ニキは疑問視してコトヒコと窓の外の『スーパームーン』を交互に見た。
「それがどうかねえ」
「なかなか難しい問題なのよ」
ツグミが店のカウンターに自作のクッキーを置いた。焼きたてのいい匂いが漂ってくる。
「よくこの短時間で焼けたね」
匂いにつられてタマキが一枚口へ放り込む。
「『時間』は、有り余る程あるからね」
ツグミは意味ありげに言うと、ふふふと含み笑いをした。タマキはクッキーを咀嚼しながら首を傾げる。
「『時間』はいくらでもある?」
コトヒコが新しいタバコに火を灯した。
「お前と銀月、だっけな。そこのパツギンがどれだけ寝ていたと思う?」
コトヒコがニコチンだらけの煙を吐き出せば、タマキは顔を歪めてすぐさま窓を開けた。夜風が顔を撫でる。
「三十分くらいじゃないの?私が最後に時間を確認した時九時半で、体育館倉庫でいざこざ起こして……。」
指折り数えるタマキにニキが補足する。
「それからおおよそ一時間近く経ってる。お前途中で起きたのに記憶無いのか?」
タマキは不思議そうにして首を傾げるだけだ。一切記憶に無い。そう言いたげな顔をしている。
「さて、ここで時計を見てみようか」
コトヒコがアキに顎で指示するとアキはディスプレイからアンティークの壁掛け時計を取り外す。
時間は十一時四十五分で止まっていた。
秒針ですらぴくりとも動かない。
「大体予想通りの時間じゃない?殊更怒られる時間でも無いと思うけど……」
「それならまだ良いがな」
いちいち言葉を返すコトヒコに、タマキは不満そうに口を曲げた。
「いったいどういうことなの?わかってるんでしょ?コトヒコ、捻くれないで教えてよ。」
すぐ近くで口うるさくタマキが言うので、わざと至近距離で煙を吐く。咄嗟にタマキは身を引いて咳払いをした。
「質問するぞ。ツグミがこの枚数のクッキーを焼くのにどれ位の時間が掛かる?」
タマキとニキはツグミのクッキーに目を移す。丸型のクッキーがかなりの枚数盛られていた。
「少なくとも、三時間は要るんじゃないかな。」
タマキとニキは顔を合わせた。
「これは可笑しな話だな。」
コトヒコの灰色の視線が銀月に向けられた。銀月も表情ひとつ変えずにコトヒコを見返す。
「アンティークの壁掛け時計だ。電池切れじゃないのか?」
「うーん、残念ながらそれは無いかなぁ」
コトヒコの代わりにアキが答えた。
手にしている壁掛け時計の針を指で動かしてみようとするが、簡単に指で動くはずの針は全く動かなかった。
力を込めていた指をほぐす。アキの白い指に赤い痕が残った。
「あらあら動かない。」
わざとらしくツグミが時計を見る。
タマキとニキは目を丸くして食い入るように見ていた。
ただ一人、銀月だけが沈黙を守っている。
「言いたい事は分かるな。」
「夜が止まってる。」
コトヒコと銀月の視線がぶつかった。
その瞳は、鋭く鈍く、灰色に輝く。