運命の出逢い……?
長谷川珠【ハセガワ タマキ】を説明せよ。
一言で説明しよう。彼女は月影に誰かが落ちる姿を見て勢いよく中学校の屋上から飛び降りた、バカである。
「あいったた、たた」
飛び降りた先はサッカーのゴールネットの上。致命傷も無くタマキは平然としていたが、一層遠くなった大きな満月を見上げて首を捻った。
「やー。参った。私も運動能力落ちたもんだなぁ。」
首の骨を鳴らして、ゴールネットから降りる。中学校の校庭から見上げた満月は、更に増して大きく見えた。月輪が神々しく光放っている。
「ケータイちゃんは……オーケイ、無事だ。さて行くか」
羽織っていたパーカーのポケットに入っているケータイの無事を確認するとフードを被って走り出す。
「(運命の出逢いなら、海崎さんの事も忘れられる?)」
人影が落ちた場所は目星が付いているのか特に迷いは無かった。鈴虫を蹴り飛ばしながらアスファルトを走る。
「(海崎さんはもう、バイト先の先輩なんだ。私の■■な人じゃない。そこを区別出来ない自分なら、これが運命の出逢いだって言いたいんだけど)」
二中の目と鼻の先に堀之内一中がある。
この辺り一帯で中学生が騒ぎを起こすと、必ずと言っていい程一中と二中で責任のなすり付け合いが勃発する。タマキもかつては当事者の一人で女番長と名乗る一中の(しかも金髪ときた)女子生徒を吊るし上げたこともあった。名前は忘れた。それ程どうでもいい相手だったのかも知れない。
一中も同じくスーパームーンのお月見をしていたようで、屋上に大勢人が見えた。
閉め切ってある一中の校門を飛び越える。
辺りを見回して、校庭の隅にある体育館倉庫へ走る。鍵は開いていて、タマキが身を捩れば中に入れる程の隙間があった。
「おやや」
予想は正しかった。
タマキの勘付いた場所に、恐らくあの影の正体であろう青年が倒れている。
ケータイを開いて、コトヒコに『空から降ってきた男の子確保!シルクハットに運びま〜す(顔文字)』と伝える。返事は待たずに青年の頬を叩いた。
「ん……」
幸いにも青年は返事をした。
「コンクリートの寝心地はどう?」
開口一番、タマキは笑いながらに青年に聞いた。青年は困惑した表情でタマキを見る。
「え?」
「私は硬い布団も好きだけど、きみはどうだろうと思ってね。」
「最悪以外の何にでもないよ。」
頭をさすりながら起き上がる青年は、目も覚めるような銀髪だった。それ以外に特徴は無く、タマキ達と同じ十代後半に見えていた。
足の感覚を確かめて、ゆっくりと立ち上がる。
「でも床で寝たほうが寝られる人もいるからあながち最悪では無いと思うけどな。まあフカフカのオフトンが好きなら一緒に来て欲しいな。色々聞きたいことがあるし。」
笑顔で話してくるタマキをまだ怪訝そうに睨む銀髪の青年は、タマキに何か言いかけたが、異変を察知してズボンのポケットに手を突っ込んだ。
青年の雰囲気がこのコンクリートの箱、体育館倉庫を警戒している。
「一つ、聞きたいんだけど」
今度は青年がタマキに聞く。
「俺がここに落ちてきたこと、どうして分かったの?」
「ああ、それ?前にもあったんだよ、中学生の時にさ、二中のアホが裏切りとか言って脱走したら一中の体育館倉庫に居て……、て」
タマキが呑気に話している間に、既に周りを囲まれていた。青年が警戒していたのはまさしくこの周囲を囲む『もの』だ。
黒い靄が兎の形を象っている。
赤い目をギョロギョロと動かして二人を見ていた。
「ありゃ。」
「きみ、早く逃げて!」
「玉兎の月兎だ。我ながら韻を踏んでるナイスなフレーズだと思わない?」
銀髪の青年の忠告も虚しく、タマキは飄々と周りを取り囲む兎を見回す。果てし無く楽しそうで、危機感の欠片もなかった。
「あっ、しまった人参持ってくるの忘れた!今クッキーならあるけど食べないよね、ウサちゃんって雑食じゃないし」
「だから、そんなこと言ってる場合じゃないんだ!」
銀髪の青年が叫んだ瞬間、一匹の兎がタマキに飛び掛かってきた。
臨戦態勢だった青年がタマキに向かって飛び付こうとするがーーーーーー
それよりも早く、タマキの古ぼけたこげ茶色のブーツを履いた足が黒い靄を貫通していた。
「きみ、何が怖いの?」
周囲の兎すらも慄く中で、低い姿勢で硬直してしまった青年にタマキは不思議そうに尋ねる。
「確かに、黒い身体に赤い目は怖いかも知れないけど」
タマキに睨まれた脱兎はシミだらけのブーツに踏み潰される。
「兎は兎。ウサちゃんだよ?幼稚園でも小学校でも飼ってるし、私よりも小さいし、草食だし、寂しいだけで死んじゃうし」
まあ最後のは迷信かも知れないけどね、気楽な声のタマキは次々と兎を靄へ消していく。どれもこれも、儚く一撃で消えていった。
「兎の何が怖いの?もしかして昔噛まれてトラウマとか?」
「いいや、そうじゃないけど……」
気が付くと、一匹が恐怖で震えて青年の足にしがみ付いていた。
青年は兎と目を合わせる。
「……確かにそうなのかも」
兎は青年の言葉を聞き逃さなかった。チャームポイントの大きな耳はためかせ、仲間の元へ戻っていく。
何かを話し合い、うん、と大きく頷くと黒い靄となって一つの塊になった。
次第に塊は、人の形に形成されていく。
「おやまあ……これはこれは」
タマキが眼鏡のズレを元に戻すと、靄は一人の少年の形になる。
シルエットだけしか浮かばないので、細かい服装や髪型までは判別出来なかったが、赤い目だけがぎょろぎょろとよく分かった。
「なるほど頭いい。パツギンの彼のトラウマは私には効かない。なら私のトラウマになればいい、ってね。」
笑って、黒い靄の少年へ近寄る。
恐怖も屈託もない笑顔で歩み寄る姿を、銀髪の青年もただ呆然と見ることしか出来なかった。そのすぐ直後に、
「だけど残念でした。私はきみなんかこれっぽっちも怖く無いよ」
不敵に笑うその顔の、
回し蹴りが黒い靄を切り裂いていた。
『この眼鏡を、今の状態では倒すことが出来ない』
そう判断したのか、黒い靄は再び兎の姿へと戻ると天窓から逃げるように消えていった。恐らく、銀髪の青年が落ちてきた時に割れてしまったのだろう。ガラスが割れ、ただの穴と化している。
「可愛いくないウサちゃんだこと。今度ツグミにミートパイにでもして貰おうかな」
月光の差す天窓、もとい天穴の光を眩しそうに見つめて、大きくタマキは欠伸をする。
「で、ところでさ。きみは一体何者?」
振り返り際に銀髪の青年に尋ねる。
タマキに見とれてぼんやりとしていた青年がはっ、とする。
背丈はコトヒコより少し小さくニキより少し大きい高身長で、タマキは下から見上げることになる。
「あの……、俺はその……」
突然の問い掛けに言葉が出てこない青年。
しばらくの間、様子を見ていたタマキだったが、やがて瞼が重くなり、そして。
「何て言えば分からないけど」
「うんうん」
「空から降ってきたところを見てるなら、恐らく通じると思うけど」
「うん」
「……恥ずかしい話なんだけど」
「……うん」
「俺は追っ手に追われてて……って」
青年がようやく口を割った時には、丁寧にも鼻提灯まで立てて眠り込んでいた。
時刻は午後10時半を回った辺りである。