故郷旅立ち、求める安息の地
尚、DESTINY最終話のネタバレを含みます。
2021.11.18 表紙絵を追加しました。
朝から小雨が降っていた。
すぐに止むと判断し出発したが、雨脚は強まる一方。体温を奪われ不調を訴える者が出てきた為、雨宿り出来る場所を探す。
狭いが、身を寄せれば全員収容できそうな洞窟を見つけたので急いで誘導する。
「さぁ、入って。動ける者は、私とともに」
リズは体力に自身がある者を数名連れ、なるべく湿っていない枯葉や枯木を集めた。地表にあるものは濡れているので、それらを避け下から引っ張り出す。
洞窟内に持ち込み、そっと両手を翳す。ぼんやりと発光するリズの両手から、じんわりと温かな空気が流れ始めた。掌にふんわりと火が灯ると、そっと枯葉に近づける。一本の煙が立ち上り、パチパチと小気味よい音を立て火がついた。
小さいけれども、薄暗い闇を切り裂くような力強さがある。
安堵したリズは息を吹きかけ、火を絶やさぬよう細心の注意を払った。安定すると、枯木を追加する。
「さぁ、みんな暖をとって!」
寒さで震えている者を優先し、火にあたらせる。強張っていた彼らの表情が緩み、笑みがこぼれるとリズも肩の荷を下ろした。
水が入った竹筒を焚火の周囲に刺し、湯を沸かす。糸のような水蒸気が立ち上り始めると、布で竹筒を包み、皆に配布した。
竹の香りと湯が混ざり合い、爽やかな空気が洞窟内に充満する。すると、次々に安堵の溜息が漏れた。
「さぁて、いつ出発できるのやら」
皆の笑顔が戻ったことを確認し、リズは険しい瞳で外を見やった。
分厚い雲に覆われている空は、暫く太陽の出番がないように思える。落胆し、溜息を吐く。
「英断でしたね」
気を呑まれたように叩きつける大粒の雨を見ていると、隣の男が励ましてくれた。小さく頷き、灰色に濡れる森を眺める。
「今のうちに休息をとりましょう。遅れは、天候が回復したら取り戻せばいい」
リズの声に、全員が大きく頷いた。雨が入口から侵入してきたので、なるべく奥へと非難する。
「ダルク、ターニャ。見張りをお願い」
「承知」
名を呼ばれた二人は、武器を手にすると入口へと向かう。その背に、リズは声をかけた。
「後で食事を運ぶわ。ごめんなさいね」
「お気遣い、感謝致します」
リズはようやく、自身の髪に付着していた水滴を払う。見事な金髪に、真珠のようなきらめきの水滴。その姿は美しく、エルフたちは見惚れて軽く溜息を吐いた。
エルフの長であるリズは、艶やかな金髪を短く切り落とし、男性の衣装に身を包んでいる。幼い頃は長い髪が自慢のそれは愛らしい姫君であったが、故郷を追われ、怯える皆を引き連れ旅をせねばならなかったために変わった。
神々しい金の瞳は釣り上がり気味で、真正面から見つめられると息を飲み硬直してしまうほどの眼力がある。女性らしく線は細いが、比較的長身で、着ている衣装も手伝い美男子に見えた。
仲間のエルフらは彼女の容姿についてとやかく言わなかったが、敵はそうもいかない。女が引き連れている一味というだけで、なめられる。屈強な男であれば避けられた戦いも幾つかあり、その度に悔しくて憤りを感じた。ゆえに男装を始めたが、本人も気に入っていた。
剣も魔法も腕を磨き、どんな場所であっても対応出来るように体術も習得した。か細い腕ながらも筋肉質で、腹はうっすらと割れている。
他界した両親の意思を引き継ぎ、不安にすすり泣く一族をまとめる為にはそれしか思いつかなかった。何も出来ない姫など、可愛がられ、護られるだけの足手纏い。
皆に信頼され先頭に立ち、路を切り開く姫になりたかった。
リズに後悔はない。身体には傷跡が増えたが、それは誇りでもある。皆を護った証であり、戦いの勲章。
「リズ様もお休みください」
「大丈夫よ、まだ動ける。薬草の調合をしておくわ」
仲間たちは動き続ける彼女を気遣うが、本人が休む事はなかった。
長命のエルフは、整った顔立ちをしている。森に住み、動物や植物と会話し、自然界の美しいものを好んだ。
ただ、苛酷な運命を背負っている。
誰が最初に気づいたのだろう。“エルフの血肉を体内に取り入れると、能力が飛躍する”という事実に。
それは、当のエルフですら知らないことだった。しかも、迷信ではない。
奇跡の妙薬、この世の禁忌、悪魔の血肉。様々な呼ばれ方をしているが、要はエルフ狩りの隠語だった。
貪欲な魔法使いに、力を求める荒れくれ者、不老長寿を夢見る愚かな権力者。下劣な者たちが力を求め、彼らを襲った。
エルフとて、ひ弱な存在ではない。魔力は長けており、器用な手先で弓矢の扱いも一級品である。武器の製作においても、他種族を大きく引き離す技術を習得していた。
しかし、集団で襲いかかって来た魔族や人間全てを追い返す事は出来なかった。多勢に無勢でもあったし、純粋なエルフらを言葉巧みに誘き出す者もいた。
下劣な行為である。
各地でエルフ狩りが始まったので、彼らは他種族と関わることを避けた。そして、単独行動を禁止し、住処を変えながら息を殺して生き延びる。
流浪の民と化した、不遇な時代の始まりだった。
世界が創生された太古の昔、エルフは山の麓に大国を築き暮らしていたという。王族は秀でた美貌で知識も高く、皆から信頼されていた。
その末裔がリズだ。
いつか、そんな安息の地を再興したい。強固で、皆が怯えることなく安心して過ごすことが出来る場所を作りたい。
そんな願いを胸に抱いている。
何故エルフは、呪われた運命を課せられたのだろう。襲撃を受けるたびに、恨まずにはいられない。
結局、洞窟内で丸一日過ごした。ようやく晴れたので出発の準備を進めていると、入口が騒がしい。
足を痛めている者に薬を塗っていたリズは、顔色を変え駆け付けた。
「リズ様、魔族を捕らえました!」
絶望の悲鳴が上がる。
騒然とする中、リズは気丈に叫んだ。
「皆、混乱しないで。心を落ちつかせ、隣人と手を取りなさい」
腰の細身剣を引き抜き、地面に転がり呻いていた魔族に剣を突き立てる。ザクリ、と音がして地面に剣が突き刺さった。小さく悲鳴を上げた魔族に、冷徹な視線を落とす。
呻いているのは、艶やかな黒髪の魔族だった。
小汚い外套に、穴の開いた靴。それに、少しすえた臭いがする。身なりに不釣合いな美しい髪が印象的で、一瞬目を奪われた。
「仲間は? 数を教えなさい」
悲鳴から察するに男だが、容易く捕縛出来たならば下っ端だろう。いや、捨て駒か。
「んひぃっ、怖い、怖いぃぃぃぃ」
悲鳴を上げており、あまりに情けない。
しかし、演技の可能性がある。こちらを油断させ襲い掛かるのは、下劣な魔族の常套手段。リズは剣を地面から引き抜き、彼の首元に添えた。
皮膚にぷつり、と突き立てると更に悲鳴が上がる。
「い、痛い! あの、刺さっています、痛い、です! ボクは一人です、何もしません、出来ません! 仲間はいませんっ」
「見え透いた嘘を」
「嘘じゃない、ボクは一人だっ。痛い、痛い、痛い!」
頬に剣先をあて、すっと動かした。血がじんわりと滲む。
「ひぎゃああああああああああああああ! 野蛮エルフ! こっちは無抵抗なのにっ」
大人しくしていればよいものを、馬鹿なのか暴れて余計に頬が斬れる。
「煩い男ね。吐かないのなら、始末します。吐いても始末するけれど」
「えぇえ、ボクはどうしたって殺されるのですか! 何をしたとっ? 疲れたから眠る場所を探していただけなのに!」
ぎゃんぎゃん喚く魔族に、リズの顔が引き攣る。
ここまで情けない男を初めて見た。苛立って腹部を蹴り上げ、仰向けに転がす。眼球に剣先を近づけると、魔族は盛大な悲鳴を上げる。
耳障りな悲鳴にリズは顔を顰めたが、同時に鼻を摘まんだ。
異臭が強まった。
見れば、男が失禁している。じんわりと地面に広がる液体から、湯気が微妙に出ていた。
「き、汚い……」
「こんな場所に来たボクが愚かだった! うわぁ、誰かー、誰か助けてぇぇぇぇ!」
「静かになさい!」
こめかみを引くつかせリズが声を張り上げると、男は涙声ですすり泣く。
「な、なんておっかない男だろう。見た目は華奢で綺麗なのに、悪魔のようだ。魔族の悪漢にだってこんな奴はいないよ」
リズの口角が、ゆっくりと上がる。
「ふんっ。今時の魔族は、こんな男しかいないの。それとも、フリなの」
地面に転がっている魔族を、呆れて見つめる。肩ほどの黒髪が美しいのは、リズも認めた。大きな黒い瞳は瑪瑙のように光っており、こちらも麗しい。
だが、品がない。
「今時のエルフは、こんな男しかいないのですか。もっと高貴な種族だと思っていたのに、粗野で乱暴者。ボクの憧れを返してっ」
「ごめんなさいね、私は女。絶望したところで、死んで頂戴」
「ひぃいいいいいいい、これが女!? 絶望しか残されていないっ。夢も希望もありはしないっ。エルフの女性は優しく温かく朗らかで美しく甘い香りがすると聞いていたのにっ」
さめざめと泣いている魔族を、白けた瞳で見下ろす。
「魔族は狡猾。それは噂通りね」
脆弱な男かもしれないが、瞳の奥に炯々とした光が宿っているのをリズは見逃さなかった。よって、生かしたところで災厄となる。周囲に目配せをすると数人が頷き、子供らの瞳を塞ぐ。
そして、魔族の口に布を押し込んだ。
「もがががががが」
心臓に、リズは剣先を向けた。大粒の涙を流しながら死に物狂いで首を横に振っている魔族を見下ろすと、突き刺すために腕を振り上げた。
「もごごごごごー!」
魔族の男が驚愕の瞳で戦神のようなリズを凝視し、覚悟を決める。
鮮血が舞う、その時だった。
「リズ様! 新手です」
「なんてこと、コイツの仲間なの!」
「そ、それが……人間です!」
洞窟内に火が放たれた。
弓矢の先端に油を染み込ませた布を巻き、火をつけ何本も射ってくる。魔力に覚えがあるエルフは、必死に結界を張り防ぐ。
「人間と魔族が手を組む時代なのね。このままでは袋の鼠、突破口を開きます!」
「リズ様、援護致します」
咆哮を上げ洞窟から飛び出したリズに、数人のエルフが続く。ここぞとばかりに弓矢を放つ人間たちだが、後方では消火を終えたエルフらが援護射撃で開始した。
「人間風情が、我らに勝てると思わないで」
細身剣を素早く投げつけ、人間の心臓を寸分狂いなく突き刺す。
しかし、人間は恐れるどころか武器を手放した彼女を嘲笑った。
だが、リズはゆっくりと口角を上げる。金の瞳が闇夜の獣のように輝き、体勢を低くして突進した。
彼女の身体は木々で隠れ、人間らは狼狽した。
「せいっ」
気づけば間近に迫っており、下から抉られるように拳が入る。腹への衝撃に胃液をまき散らし、防御をとれぬまま首をへし折られた。
次々に倒れていく仲間を見て、人間らは悲鳴を上げる。彼女の武器は拳であったと気づいたが、遅い。
地面に優雅に降り立ち、リズは不敵に微笑む。その後方で、エルフらが詠唱を開始していた。
戦力を測り違えていた人間たちは、あっという間に全滅の危機に瀕した。
「私は甘くない。情けをかけても、いつかまた、貴方たちは同じ過ちを繰り返す。だからこの場で殲滅する」
瞳に憎悪の青い炎を燃え上がらせ、リズは逃げ惑う人間らを睨み付ける。戦意喪失したとしても、容赦しない。そうやって、生き延びてきた。
洞窟に転がされていた魔族の男は、懸命に口から布を吐き出した。
「げっふ」
地面を転がって逃げ出そうと試み、這い蹲って息を潜めた。
入口に辿り着くと、エルフたちの脚の隙間から先陣切って戦うリズの姿を見た。軽やかに身を翻し、獣のように敵を仕留める猛々しい彼女を。
思わず、見惚れた。
しなやかな身体が、まさに鋭利な刃そのもの。喉を鳴らしていると、違和感に覚える。
低い視点から見ていた魔族は、擬態するように木の葉を巻きつけた人間が、木の上から弓矢を構えていることに気づいた。それも一人ではない、数人いる。
しかし、目の前の敵に集中しているエルフらは気づいていない。
「やれやれ……。甘いですねぇ」
嘆息し、静かに立ち上がる。
そして、気づいたエルフらに剣先を向けられる中で彼は素早く魔法を放った。
「煌く粒子は破片となりて、絶対零度の冷気を纏い彼の者へと。全てを凍てつかせる冬の女王よ、ここに降臨し賜え。輝きは鋭い刃となり、源を斬り絶えよ」
周囲の空気が凍てつく。
次いで、本能的な恐怖を呼び覚ます悲鳴がそこかしこから上がる。
強張った表情のリズが構えていると、数人の人間が木から落下した。彼らの首には氷の破片が突き刺さり、絶命している。
「こ、これは」
エルフたちは、肩で大きく息をして突っ立っている魔族の男を見やった。この男が放った魔法だと、皆は一瞬で察し警戒する。
「……リズ様。如何致しますか」
「手の込んだ作戦かもしれない、助けて恩を着せたのよ」
助けられたことは認めるが、味方という確証はない。
何より、背筋が寒くなるほど圧倒的な魔力を瞬時に解放したこの男は、非常に危険だと判断した。
リズは人間に突き刺さっていた自身の剣を引き抜くと、魔族に近寄った。そして、迷いなく剣を向ける。寂しそうに微笑んだ魔族に、冷めた視線を送りながら。
滝が落ちる泉で、エルフたちは休息をとった。
久し振りの水浴びに、彼らは緊張を解いている。和やかな声を聞きながら、仏頂面でリズは胡桃を頬張った。
目の前には、美味しそうに胡桃を食べている魔族の男。ただし、その首には縄が巻かれ、大木と繋がれている。
「名前は」
「あぁ、よかった。やっと訊いてくれましたね! 何時までも魔族の男、ではボクが可哀想ですから。ルクルです、ルクル=ダズリン」
唾を飛散させながら大声で告げたルクルに、リズはこめかみを引くつかせた。しかし、冷静に対処すべきだと自身に言い聞かせる。
「言っておきますが、お前は運が良かったのです。慈悲深い私の仲間に、感謝なさい」
「感謝します、ありがとうございます!」
「しかし、私は貴方を殺したい。そもそも、助けたつもりでしょうが私は伏兵に気づいていたのです。余計な事を」
「えー、そうですかねぇ? 貴女は無防備だった、ボクがいなかったら致命傷を負っていたと思いますけど。仲間もね」
顔を赤らめ舌打ちしたリズに、ルクルは吹き出した。しかし、剣先を向けられ悲鳴を上げる。悪魔のような形相でこちらを見ていたので、慌てて話を逸らした。
「あ、ああああ、そうだ! 先程は男の人だなんて失礼な事を言ってしまい、申し訳ありませんでした。胸がないし、肩幅が広いし、筋肉質だし、目つきが悪いので、女性とは思わず」
ボキィ、バキィッ!
リズが片手で胡桃を何個も割り砕いたので、ルクルは大袈裟に身体を震わせる。
「この胡桃をお前の喉仏だと思って砕いているの」
「おぉ、怖い!」
「神経を逆なでする奴は嫌い」
「さようですか、ボクは片手で胡桃を粉砕する女性が苦手です」
お道化ているが、リズには分かっていた。
ただの馬鹿ではない、これは余裕だ。あそこまで練度が高い魔法は初めて見たので、相当な術者であろう。四面楚歌だろうが、逃げられる自信があるほどの実力者。この捕縛とて、彼には意味がないように思える。
しかし、彼は逃げない。攻撃するそぶりも見せない。
探るように見つめていると、軽やかに話しかけられる。
「いやぁ、胡桃は美味しい。それにしてもボクに食事をくださるなんて、エルフは優しいですねぇ」
「皆がそうしろと言うので」
「分かりますとも、貴女は拒んだはずだ」
「ええ、その通り。だから遠慮して食べるのを止めたらどうなの?」
「いえいえ、ボクは出されたものは平らげますよ」
「最近の魔族は図々しいのね」
「何を仰る、戴いたものは感謝して受け取るのが常識でしょう。……そうだ、ボクは逃げませんから貴女も水浴びをしては? 大丈夫です、男のような身体に興味はありませんから。萎えるので、決して見ませんよ。ボクは、歩くと揺れるほどに巨乳な女性が好きなのです。出来ればその胸に顔を埋めたいし、こう、ムニムニッと揉みしだきたい。それこそが、女性です」
バキィ、ボキィ、グシャア。
盛大な音を立て、胡桃が飛散した。地面に塵と化した胡桃だったものが無残にサラサラと流れていく。
青筋を立てているリズに肩を竦めたルクルは、追い討ちをかけた。
「駄目ですよ、食べ物を粗末にしては。貴女、本当に大地の恩恵を受けるエルフですかゴッフウゥ!」
流石に堪忍袋の緒が切れたので、リズは彼の頭部を全力で殴った。
その晩、リズは仲間らと地図を広げた。
そろそろ定住し、皆を安心させたい。焚火の前で、煎じた豆茶を啜りながら対話していた。
「この辺りは止めた方がいいと思いますよ。というより、この大陸では無理だ」
相変わらず縄で繋がれているルクルが、遠くから発言した。
小声で話していたが、聞こえているらしい。魔族だというのにしれっと会議に参加していることに腹が立つリズと、彼は人畜無害どころか強力な味方であると思い始めた者たちが気にして彼を見やる。
「ここは空気が冷たいので、暖かいところへ行きましょう。ボクは寒いのが苦手です」
「どうしてお前の意見を汲まねばならないの。そもそも、連れて行くわけないでしょう」
「仲間に入れてもらえるのだとばかり。そろそろ外していただけませんかね、この縄」
「私たちはエルフ、お前は魔族。仲間だなんて、有り得ない! 逃がした途端に仲間を引き連れて攻められたら困るから、死んだら外してあげる」
「心が狭いなぁ……。逃げませんし、ボクに仲間はいません。ただ、楽しいからここに居たいと思っています。種族の壁があるのなら、傭兵として雇うという手もありますが如何でしょう。護衛は出来ると思います、ボクなら」
「魔族の男って、どうしてこうも喧しいのかしら」
「名前で呼んでくださいよ、訊いてくれたのにつれない人だなぁ。ルクルですってば」
言い争う二人を見ていたエルフらは、笑みを零した。普段冷静で気を張り詰めているリズが、憎まれ口を叩く様子は見ていて楽しい。宿命を背負い自分を押し殺している彼女を見るのが、エルフたちは辛かった。だが、こうしていると普通の娘に見えてくる。
彼女に言ったら怒るだろうが、似合いの二人に見えた。
「ボクの力を見たでしょう? 全力で皆さんを護りますよ」
確かに、彼の能力は目を瞠るものだった。魔術に長けたエルフが感嘆するほどに。
「どうやって身に着けたの? まさかお前」
訝って訊ねたリズは、口を滑らせたと蒼褪める。その場の空気が凍りついた。
しかし、淡々とルクルは告げる。
「エルフの血肉に魔力増幅作用があることは知っていますが、ボクは違います。大体、狙った能力が開花する可能性はないし、副作用が出ます。あまりに危険だ。短絡的な者は嬉々として飛びつくでしょうが」
その場は騒然となった。武器を手に取り構え、ルクルを包囲する。
「おやおや……。喋り過ぎましたかね」
困惑したルクルは、武器を一瞥し首を傾げる。
「話を聞いてくださいな。エルフの血肉など、ボクには必要ないのです。強力な力を手にし、どうなるというのでしょう。努力の先に得たものなら誇れますが、他者を食い殺し力を得るなど反則であり命への冒涜。ボクはただ、この世界を歩き回って何かを見つけたいだけですよ」
エルフらが眉を顰める中で、リズは一歩踏み出した。
「……何か、って何?」
「解りません。解らない何か、を探して旅をしていたのです」
リズとルクルは互いに見つめ合った。
魔法でエルフを救い、飄々とした様子でついてきた魔族は、初めて真面目な顔つきで語った。その言葉には、嘘偽りがないように見える。
リズは彼から目を逸らすことが出来ず、見定めるように凝視する。
反して、心を開こうとしていたエルフらは、ルクルに畏怖の念を抱き始めた。
この場で始末するのが一番良いだろう。しかし、あの魔力を見せつけられた以上、迂闊に手を出せない。
厄介な男を拾ってしまったと、リズは項垂れた。
「永住先を見つけたいのなら、別へ行きましょう。ここは駄目だ、ボクは知っている」
ルクルはこんこんと言い続けたが、誰も耳を貸さなかった。
夜も更けたので、見張りを交代しながら就寝する。
ルクルはリズのテント先に繋がれていた。
「あのぉ、すみません。ボクは何処で眠れば?」
「そこよ。毛布は貸すわ」
「朝露に濡れ、風邪をひいてしまいます」
「そうしたら、自分で回復なさい」
「えっ、酷くないですか!? なら、百歩譲ってリズさんのテントに入れてください。大丈夫です、襲いませんよ。そんな魅力の欠片もない身体なんて、こちらからお断りしますのでご安心を」
ズドン。
リズが足踏みをすると、地面が抉れテントが傾いた。
雲の裂け目に、清冽な星が瞬く。
ルクルは項垂れて空を見上げていた。
「さむっ」
一応近くに焚火はあるが、これでは心許無い。
吐く白い息を暫し見ていたが、それよりも星を見たほうが楽しいと顔を上げる。家を出てから、夜は星を見て過ごしてきた。
空は、見ていて飽きない。太陽も、月も、雲も、星も、毎日表情が変わる。
「不思議ですねぇ。本当に美しい」
リズは、テントから彼を覗いていた。
この男には無意味だとリズにも解っていたが、一応魔術師の念を籠めた縄で首と両手足を結んである。不便だろうに彼は大人しく、縄を解く事も、逃げる事もしなかった。
「あの魔族は、一体何なの……」
ルクルの思考が読めず、リズは苛立った。放っておけばよいのに、彼が気になる。心がジリジリして落ち着かない。
こんな気持ちは初めてだ。
「おや? ありがとうございます」
空をぼうっと眺めていたルクルは、無造作に差し出された湯気立つ茶に気づき、嬉しそうに顔を綻ばせた。
仏頂面をしたリズは手の縄を解いて茶を渡す。
「優しいですねぇ、リズさんは。これで巨乳だったら、確実にボクの好みなのに。早々に求婚してますね」
「今、この胸で心底良かったと安堵しているわ」
フフフ、と笑っているルクルに心を乱されながらも、リズは仕方無しに隣に座る。
「監視しているのでしょう? 傍にいれば、ボクが妙な行動をとった時に対処できる」
「そうね」
茶を啜りながら、リズは素っ気無く答えた。
「リズさんは真面目で責任感がある、そして慈悲深い。ボクをさっさと殺せばよいのに、それは出来ない。エルフに刃を向けていない相手を殺してよいものか、躊躇っている。敵か味方か、考えあぐねていますね。基本、争いを好まないのでしょう。戦うのは、生きる為」
つらつらと話すルクルの話を聞いていたリズだが、何も言わなかった。
「茶を飲んだら、縛り直す。早くなさい」
「少し話し相手になってくださいよ。一人旅で会話なく過ごしてきたので、とても楽しいです」
「私の気分は最悪よ」
「なら、楽しくお話しましょうよ。ほら、笑って! そうだ、朝食は南瓜の乳煮がいいです。ありますかね、南瓜と牛乳。山羊でもいいけれど、煮込んで蜂蜜をかけて食べると非常に美味し、漲りますよ」
「何それ、食べたことがないわ」
「なんとっ! 人生損してますよ。あぁ、食べたいなぁ、南瓜。昔、よく母さんが作ってくれたんです」
遠くを見つめてしんみりと呟いたので、リズは胸が締め付けられる思いだった。この男が何故こうも感情を揺さぶってくるのか、どうしても分からない。だが、その愁いを帯びた瞳は綺麗だと思った。
「万が一材料が揃ったら、作ってあげる」
「やったー! ……ということは、暫く置いてもらえるんですね」
うっかり口を滑らせてしまったと眉を顰めたリズだが、無邪気に微笑むルクルを見て少しだけ嬉しく思った。
同時に、彼の言葉に一喜一憂している自分に腹が立つ。
「ごちそうさまでした。……おやすみなさい、リズさん」
「おやすみ、魔族の男」
「ルクルです。ルクル」
茶を飲み干すと、ルクルは自ら縄で手を縛るように差し出してきた。面食らいながらも、リズはそっと縄で拘束する。
指先が肌に触れると、身体中に熱が走って痺れた気がした。
翌日も縄に繋がれていたルクルだが、エルフたちを観察していたので退屈ではなかった。子供は真剣な表情で大人に魔法や弓矢を習い、歓声を上げている。女は洗濯やほつれた衣装を縫い、野草を摘んで調合している。男は武器の手入れをしていた。
リズは忙しなく動きまわり、備品を見て回っている。
「へぇ、統率されていますねぇ。互いを尊重し、信頼しているからこそ成り立つんだ。つまり、大家族ですね」
ルクルは口元を緩ませ、それらを見ていた。
しかし、ゾワリとした感覚が胸を打つ。慌てて北の方角を睨みつけると、大声で叫んだ。
「リズさん! リズ! ボクを解放してくださいっ」
切羽詰った声に、リズが何事かと駆け寄る。
薬草の種類を数えていたが、今ので一からやり直しになってしまった。邪魔されて機嫌が悪くなり、リズは一点を睨みつけているルクルに言葉を投げ捨てる。
「煩いわね、何なのよ。粗相?」
「北の方角に、魔族が数名。こちらの様子を窺っています、危険です」
いつものように嫌味を告げたリズだが、ルクルは無視した。焦燥感に駆られた声に、周囲に動揺が走る。小さく悲鳴を上げたエルフたちだが、リズは怪訝に北の方角を見つめた。
何も感じない。
魔力に自信があるエルフ数人に頼み遠見を開始したが、何も掴めなかった。
その間、ルクルは瞳を閉じて歯軋りを繰り返している。
「そんな嘘、信じると思う?」
「嘘じゃない、ボクを解放してください。……来ます!」
いい加減にしなさい、と口を開きかけた矢先だった。轟音が響き渡り、唖然とリズが振り返る。その先に、蝙蝠のような翼を広げた魔族たちが浮いていた。
一瞬で間を詰められ、驚嘆する。
「敵襲! 皆、定位置について」
リズの声に、エルフたちは一斉に武器を手にして陣形を組む。日頃から訓練しているので、見事なものだった。
「弓兵、ていっ!」
翼の付け根を狙い、一斉に弓が放たれる。回避した六人の魔族は上空へと避難し散らばると、各々両手を掲げた。
魔法に備え、リズが叫ぶ。
「防御壁、用意!」
その声に合わせ、エルフは張り巡らせた結界を起動した。魔力を遮断する、鉄壁の防御である。彼らは常に滞在地の四方にまじないをかけている。幾度も襲われたので、こうしなければ眠れないのだ。
談笑も、水浴びも、子供らが走り回るのも、この結界があってこそ。
「魔族など、恐るるに足らず。引き摺り下ろします、弓兵、ていっ!」
乾いた響きをたて、弓が放たれる。
雨のような矢に怯む魔族らだが、リズの指示に合わせエルフが動くことを上空から見ていた。指揮官がいなければ総崩れになることなど見て取れたので、薄ら笑みを浮かべる。
将を射んとするならば、まずは馬から。
魔族たちは火炎の魔法を放つが、結界に弾かれる。
弓矢は届かずとも、エルフたちは歓声を上げて魔族らを睨みつけた。ここにいれば安全だと高を括った。
「愚か者どもめっ! 大地の恩恵を受けるエルフの結界には侵入できぬ」
リズの威圧感ある声量に狼狽する魔族らだが、尻尾を巻いて帰ることはなかった。それどころか、各々武器を引き抜き向かってくる。
「飛んで火にいる夏の虫」
鼻で嗤い、嬉々として魔族らを見やる。魔法の詠唱に入ったリズの身体から、光の粒子が零れ落ちた。
「リズ、挑発してはいけない。あれは結構腕の立つ魔族だ」
声をかけられ、集中が途切れる。牙を剥くように振り返ったリズだが、口を噤む。
ルクルの雰囲気が普段と違う。縄を解き、後方に立っている。身体から放たれる冷気のような魔力に、リズは固唾を飲んだ。
ルクルは静かに歩み出て、リズの前に立った。そうして、無造作に魔族らを見上げる。黒髪が風に揺れ、漆黒の瞳が彼らを捉えた。
突進してきた一人の魔族が、唖然として止まった。
掠れる声で、その名を呼ぶ。
「ルクル……ルクル=ダズリン」
絞り出した魔族の声に、エルフは一斉にルクルを見つめる。名を知っているだけではない、恐怖に似た感情が声から滲んでいた。
「ボクを知っているのなら、立ち去ってください。無駄な争いは避けるべきでしょう?」
淡々と告げるルクルだが、戸惑っている魔族らはその場から動かなかった。どうすべきか相談しているようにも見える。
「去れと言っている! この面汚しどもめっ」
雷のような激しい怒り声に打たれ、魔族らは舌打ちしたものの身を翻し去っていく。
周囲には、気味が悪いほどの静寂が訪れた。
「ふぅ。もう大丈夫ですよ!」
普段通りに、ルクルはにこやかに告げた。
しかし、エルフらはルクルから視線を逸らしている。そして、少しずつ離れていった。
「……お前は何者なの。名前だけで敵を退けた」
訝るリズの声に、ルクルは深い溜息を吐く。頭をポリポリとかいていたが、意を決して開口した。
「ボクは、次期魔王アレクの……叔父。騒ぐほどのことじゃない」
エルフたちはざわめいた。生態は知らないが、エルフの長と同じで魔族にも王がいることは知っている。
「つまり、王家に連なる者?」
リズは知らず腰を低くし、身構えた。今にも飛びかからん勢いで、奇妙に口元を歪める。
「私たちを、新たな魔王に献上するつもりなの? 魔族繁栄の為に」
「それが目的なら、とっくに捕らえて魔界へ連れ帰っているよ。猜疑心を抱くのは仕方がないけれど、君たちエルフは見る目を養うべきだ。それが命取りになる」
リズは赤面し、地面を蹴り上げるとルクルに拳を突き出す。難なく避けられたが、想定内だ。追撃し、華麗に右脚を空高く掲げ一気に振り下ろす。
「魔王の叔父だけど、関わりはない。愉しい事を探し、旅に出るほうが性にあっていた。彷徨っていたら、君たちに出逢っただけ。偶然だ」
俊敏にルクルは攻撃をかわす。
追い詰めているはずなのに、精神的に追い詰められているのはリズだった。渾身の一撃が、ことごとく紙一重で避けられている。怒りと焦りで、心が乱れる。
「欲しい物は、エルフの血肉ではない。生きるための、喜びや楽しさを渇望している。そして、“何か”を」
ルクルの言葉は真実か否か。
もし、信じるのであればこの先エルフにとって強固な護りとなる。その名で大概の魔族が逃げ失せるならば、願ったりだ。
怒りに任せてリズが突き出した右の拳が、ルクルの顔面を掠めた。風圧で皮膚が切れ、微量の血が滲む。
「凄いな、エルフの姫君。実に面白いよ、もっとお淑やかな女性だと思っていたのに。君は強い、何事にも立ち向かう勇気と度胸を持っている。皆を救いたい一心で、強くなったのだね。尊敬するよ、きっとボクがリズの立場だったら恐れをなして行方を眩ませる。そんな大役、無理だからね」
「お褒めの言葉を有り難う。では、死になさい」
告げたリズの身体が不意に消えた。
息を飲んだルクルは、背後に現れた気配に唇を噛む。遅かった。背部に強烈な痛みを感じ、地面に倒れ込むと痙攣する。
俊足で残像を出し、気配を消して敵の背後に回りこむと強烈な一撃を喰らわせるリズの得意技だ。大きく肩で息をしながら額の汗を拭い、白目をむいて小刻みに動いているルクルを一瞥する。
「急いで! 出発の準備を」
身を潜める場所を探すため、早急に立ち去らねばならない。あの魔族らが、戻ってこない保証はない。
「リズ様、この魔族は」
「直に息絶える。放っておきましょう」
「ですが、彼は……恩人です」
「冷静になりなさい、この者は魔族。それも、魔王の叔父ですって。魔族は卑怯な輩、仮に一万歩譲ってこの男が善人だとしても、共に生きるだなんて有り得ない」
「ですが」
「忘れなさい。さぁ、私たちの安息の地を探しに行きましょう」
地面に突っ伏しているルクルを置き去りに、エルフは旅立った。
冷たい風が吹き荒れ、カラカラと音を立てて枯れ葉が地面を転がる。
エルフたちは、自分たちが安心して暮らせる場所を探し、歩き続けた。
いつしか足を踏み入れたのは、連なる山脈の奥深く。太陽の光すら届かない場所で身を潜める。可憐な花は勿論、緑の草木もない、殺風景な場所だった。少し休んだら旅立つつもりだったが、その場所はエルフに深刻な事態を引き起こした。
「リズ様、魔族です!」
「こんな時にっ」
温かな茶と食事をとっていると、ルクルが以前追い払った魔族たちに見つかった。エルフを諦めることが出来なかったのか、非常に執念深い。
以前と同じように、結界を起動させ戦う。リズの掛け声でエルフらは動いたが、身体の力が抜けていくような脱力感で上手く発動出来ない。
大地から気力を受け取り太陽の光を浴びて魔力を増幅させていたエルフは、分厚い雲に遮断されたこの地で能力が半減したのだ。
それは、彼らが知らないことだった。確かに先人から「必ず常に草木と共にあれ」と教えられていたが、ここまで衰えるものだとは思いもよらなかった。
ゆえに、エルフらが滞在できる土地は限られる。魔族は何処へでも行けるというのに。
「どうしてっ、私たちだけがっ」
エルフたちは悲鳴を上げた。防御に徹するように叫んだリズは、先陣を切って華麗に地面を飛び交う。自分が奮い立たねば、誰がするというのか。
魔族に果敢に攻撃を仕掛けたが、その華奢ながらも筋肉質の腕は捻り上げられ呻いた。
「リズ様!」
口々にエルフたちが名を呼び、捕らえた魔族が下卑た笑い声を上げる。
「おのれっ」
腕に、魔族の舌が這う。あまりのおぞましさに鳥肌がたち、魔族に唾を吐きかけながら自由な手に魔力を篭めた。体術だけではない、リズは魔力とて秀でている。
けれども、腕を締め上げられ絶叫した。容赦なく曲げられ、鈍い音と共に骨が折れる。激痛に顔を顰め、脂汗を流しながらも懸命に耐える。涙が滲んだが、零すまいと言い聞かせた。
「っくぅっ!」
仲間の士気が下がることは避けねばと強がり、気丈に振る舞おうとした。しかし、ガチガチと歯が鳴り、綺麗な顔が恐怖で歪む。
死の影が忍び寄り、恐怖を煽られる。自分が死ぬことは、怖くない。エルフとて、いずれは死ぬ。
だが、今後の仲間の行く末を憂い、胸が引き裂かれそうになった。統率者が不在では、蜘蛛の子を散らすようなもの。全滅してしまう。阿鼻叫喚の図が脳裏を過ぎり、喉の奥で悲鳴を上げた。しかし、打開策が出てこない。
非力な自分を呪った。
「忠告しましたよね、ルクル=ダズリンの名において」
ふわりと身体が宙に浮き、暖かなものに抱きとめられた。その心地良さに、リズは震えながら頬を寄せる。
心臓の鼓動が聞こえる。どことなく、懐かしい香りもする。
恐る恐る見上げれば、ルクルが無表情で魔族たちを見据えていた。鋭利な刃物に似た瞳は、寒気がするほどに美しい。
リズを捕らえていた魔族は羽根と両腕を切断され、地面に落下している。
「ボクは去れと……そう言いましたが? 聞いていましたよね」
低音の声が、震えている。彼の言葉一つ一つが、怒りを含んで爆発しそうだ。
「天より来たれ我の手中に、その裁きの雷で我の敵を貫きたまえ。眩き光と帯びる炎、互いに呼応し進化を遂げよ。我の前に汝は消え行く定めなり、その身を持って我が魔力の贄となれ」
空気が、いや大地が揺れた。
皮膚が引き攣り、髪が舞う。ルクルの身体から放出される魔力は尋常ではない。炯々とした瞳が地に落ちると、空から膨大な稲妻が降り注ぐ。
悲鳴を上げた魔族たちは、その稲妻を受け瞬時に黒焦げになった。辛うじて人型を保っている焦げたものが地面に落ち、飛散する。
それは、一瞬のことだった。
「手負いのままですと、エルフの血肉で回復しようと思案する輩が出るかもしれないので」
引導を渡すように告げたが、当の本人らには届かない。
本当に、あのルクルなのかと、エルフらは唖然とした。
「魔族、の、おとこ」
掠れる声で告げるリズに、ルクルは苦笑し首を傾げる。
「ルクルです。ボクは、ルクルですよ」
確かに、この声はルクルだ。だが、先程の彼は肝が冷えるほどに恐ろしかった。リズは混乱したまま、意識が朦朧として瞳を泳がせる。
「ボクの言う事を聞いていたら、こんな目に遭わなくて済んだのに。ものは使いようです、傭兵として使役していれば」
「……どうして、来たの? 私は貴方を殺そうとした」
「いいえ、リズはボクを殺せない。だから、生きている。……治療します、喋らないで」
「な、ぜ、もど」
辛うじて保っていたリズの意識が遠退く。だが、弱弱しくもルクルの腕を掴んでいた手は、決して離さなかった。
張り詰めていた緊張の糸が切れたのは、腕の中があまりにも心地良かったためだ。陽だまりの中で両親に抱き締められた、幼い日を思い出していた。
圧倒的な安心感が、ここにある。
「ボクが探していたものが、……何か解ったので」
リズの髪を撫で、ルクルは困惑気味に微笑する。小さく呟いた言葉は、冷たい風に掻き消された。
集まってきたエルフらに、致命傷ではないから安心するよう伝える。ただ、精神の疲労が激しいので、十分な休息を与えると語尾を強めて言った。
そして、リズに頼り過ぎだということも苦々しく口にする。
「彼女は先導者に相応しい。ですが、あなたたちも能動的に振る舞いましょう。それだけで、彼女の負担は軽減します」
ルクルの指摘に、エルフらは申し訳なさそうにすすり泣いた。頼り切っていることは、分かっていた。
この場でエルフは動けない事を察したルクルは、リズを抱えて避難した。山脈から離れ、森に戻り治療に専念する。
蓄積した疲労のためか、魘されていたリズが目覚めたのは二日後だった。その間、ルクルは懸命に彼女に付き添って看病していた。
青い氷のような空気が流れる、心地良い森の中。
鼻を鳴らして安堵したリズは、うっすらと瞳を開く。
「お目覚めですか、よかったです」
傍らにいたルクルに顔を覗き込まれ、額に手を添えられた。熱を出した子供のようで恥ずかしいが、その大きな掌に心が癒される。
「……ありがとう、助けてくれて」
素直な言葉が飛び出した。
「おや、礼を言われるとは予想外です。……照れくさいものですね」
太陽の光が木々の間をすり抜け、テントの中に入り込む。煌く光に照らされるだけで、身体の底から活力が湧いてくる気がした。口元を緩ませると、茶を用意しているルクルに視線を移す。
「ねぇ。探していたものって、結局何?」
「ありゃー……聞こえていたのですか」
首を捻り頭を抱えたルクルは、真剣な眼差しでこちらを見つめているリズに肩を竦めた。観念したように舌を唇で濡らし、そっと耳元に口を寄せる。
「貧乳で、筋肉質で、凶暴なうえに意地っ張り。けれども、放っておけない女性の事です」
面食らって瞳を丸くしたリズの唇を、ルクルはそっと塞ぐ。そのまま抱き締め、光の粒子が舞う中で暫し口づけを続けた。
「リズの一撃で、脳が狂ったのかもしれません。ボクの好みは、小柄で華奢なのに、胸が大きく腰が細い。瞳は伏目がちで黒目が大きい小動物みたいな子で、明るいけれど従順、間違っても胡桃を片手で粉砕しない女性でした。あー……それから、声も高いほうが好きです、リズは低めですし」
喧嘩を売られているのかと思い、リズの顔が大きく歪む。
「けれど、貴女から目を離すことが出来ません。危なっかしいので、これからはボクに頼ってください」
悪戯っぽく片目を瞑られ、リズは呆れて溜息を吐く。
「魔族にも目が肥えた男がいたのね」
「おや、これは強気な発言ですねぇ。そういうところ、好きですよ」
吹き出したルクルに、リズもつられて笑った。
「さてさて。エルフは美しいものを好むと言いますが、ボクはその御眼鏡に適った、ということでよいのでしょうか」
再び唇を塞いで、勝気にルクルは囁く。
「まぁ、自惚れ屋だこと。それは秘密」
「ボク、かっこよかったでしょう? どうです? 惚れました? それとも、惚れ直しました?」
耳まで真っ赤にしたリズに、「素直ですねぇ、身体は」とルクルは満足して口角を上げる。本人は戸惑っていたが、出会った頃から意識していたことに気づいていた。
「んっ、ふっふっふっ」
「ご、誤解を招くような発言はやめなさいっ」
「私の全てを奪って欲しいっ、捧げたいっ、無茶苦茶にして欲しいっ……って思ったでしょう?」
「死んで頂戴」
げんなりとして蔑んだ瞳で見つめたリズは、ルクルの頬を思い切り抓った。
悲鳴を上げたルクルは、泣きながら安心して頷く。
「折られた腕、戻ってますね」
「あ、そういえば……」
痛みを微塵も感じない腕に驚き、リズは上半身を起こし軽快に肩をまわす。
「これで存分にルクルを殴る事が出来るわね」
凛凛と瞳を輝かせて子供のように告げたリズに、ルクルは笑顔を抑えきれず吹き出す。
「やっと、ボクの名前を呼んでくれましたね」
完治した腕をやさしくとり、包帯を外していく。綺麗な皮膚が露出した、傷はどこにもない。
「うん、大丈夫です。よかった、よかった」
随分大人しくしていると思えば、リズは無意識で名を呼んだらしく、硬直している。可愛らしい態度にむず痒くなり、敬愛を籠めその腕に口づけた。
「オ゛オ゛ア゛ん」
驚いたリズの唇から、奇妙な嬌声が漏れる。
ルクルは目を丸くして、口をへの字に曲げた。
「リズ。……特訓しましょう。こういう時は『ぁんっ♡』や、『ひぁんっ♡』や、『きゃあぁん♡』と艶めいた声を発するのが普通です。なんですか、今の魔物が潰れたような声は。微塵もそそられない、がっかりですよ。どうしてくれるんですか、萎えました」
次の瞬間、ルクルの身体はテントから弾き出された。
ルクルの案内で、エルフらは海に浮かぶ孤島へ移住した。
そこは暖かく、肥沃な土地が広がっている。過ごしやすい場所に、皆は涙流した。
結界も張りやすいうえに、荒れ狂う海峡を越えるのは航路では不可能。上陸するならば空からとなる。その為、人間はほぼ不可能であり、魔族であれども結界を侵入せねばならないのでかなり厳しい。エルフにとって、理想に近い島だった。
ここは、探し物を見つけたルクルが永住すると決めていた場所である。旅の最中に偶然見つけ、憶えておいたという。
エルフらはルクルに感謝した。島に辿り着くまで襲われることはなく、それは彼のおかげだと知っていた。
彼らが故郷を離れ、どのくらいの年月が経過したのか。
求めた安息の地をようやく手に入れた時、そこには魔族の男が一人いた。
やがて、二人は子を授かった。
魔族とエルフの混血である、姫君の誕生。新たな生命に、エルフらは盛大な祝福をした。
しかし、他種族で交わった為か、ルクルとリズは若くしてこの世を去った。
リズが先に倒れ、追うようにルクルが旅立った。妻を失い生きる気力を手放してしまったのだろうと、エルフらは嘆いた。
それほどまでに、ルクルはリズを愛していた。
残された姫君は、緩やかな金の髪に、透き通るような緑の瞳を持つ天真爛漫な娘だった。偉大な二人の形見であり、混血であろうがエルフによって丁重に育てられた。
やがて、彼女は母と同じように魔族の男に出逢い、恋に落ちる。
一瞬で彼女の自由奔放な姿に瞳を奪われた時の魔王と、何処か父に似たような雰囲気に惹かれたエルフの姫君は、直様恋仲となった。
二人が目指すのは、安息の地。
エルフだけでなく、魔族も、人間にとっても平穏な場所。手を取り合い、創り上げる。それが、自分たちに課せられた使命であると受け止めて。
魔族とエルフは愛し合える、手を取り合って生きていくことが出来る。
ならば、人間も同じはずだと。
全ての種族がいがみ合うことなく暮らせる世界を、彼らは夢見ていた。
【大円談】
四方から楽器を奏でる音が聞こえる。
人々がひしめき合うその場所は、朝から晩まで笑い声が溢れていた。
「さぁさ、おいでなさい。魔族もエルフも人間も、幻獣も。ここは皆の場所。
故郷旅立ち、立ち寄れ安息の地。誰でも歓迎いたしましょう。
そして元気に旅立って。思い出したら戻っておいで。
ここはいつでも、あなたの帰りを待っている」
高らかに歌う魔族の合間をすり抜け、ロシファは恋人のアレクを大声で呼んだ。
今日は豊穣祭。
この土地では、南瓜を山羊の乳で煮込み、蜂蜜と砕いた胡桃をかけた食べ物が皆に振る舞われる。ホクホクの甘味は、頬が落ちそうなほどに美味い。
これを食べて無病息災と五穀豊穣を願うらしいが、発端は平和を願った夫婦の好物だという。
息で冷ましながら夢中で食べていると、子供向けの人形劇が始まった。
「昔々、あるところに。
とても美しく元気なエルフのお姫様がおりました。
ある日、彼女が散歩をしていると、森の中で魔族の青年が倒れていました。
彼女は親しい魔女に助言を仰ぎ、彼を懸命に看病しました。
その時、お姫様が彼のために作ってあげた料理こそ、みんなが食べている南瓜の煮込み。
栄養満点で、魔族の青年はみるみる元気になりました。
そして二人は恋に落ち、末永く幸せに暮らしました」
ロシファは最後の南瓜を口に放り込むと、拍手喝采の人形劇に首を傾げる。
「何故かしら。お父様とお母様のなれそめが、改変されている。本当は……」
「紆余曲折し、子供たちにも安心して聞かせられる話を作ったのではないかな」
納得出来ないと頬を膨らませたロシファを、慌ててアレクが宥める。
「真実は、私たちが知っていればいいさ」
悪戯っぽく片目を瞑ったアレクは、夕焼け空を仰ぐ。きっと、彼女の両親も満足しているに違いない。
そうであって欲しいと願う。ここへ辿り着くまでに、どれだけの犠牲を払った事か。
「貴方たちが望んだ世界を、ようやく掴みましたよ」
けれど、これで終わりではない。掴んだ後、重要なのは継続すること。いつかまた、綻びが産まれるだろう。それを打破し続ける事は難しい、しかし、遣り遂げてみせる。
誰しもが、心休まる場所を求めているはずだから。
「おや、輪になって踊るみたいだよ。私たちも混ざろう」
「えぇ、行きましょう!」
口笛を吹きたて、大地を踏み鳴らす。原始的だが肉体的な踊りは体力勝負だ。
星が降ってくるような圧巻の夜空の下で、笑い声はいつまでも続いていた。
お読みいただき有り難う御座いました。