間違えた彼
社会人(先輩)× 社会人(後輩)
帰り支度をしているところに、別の部署のエリート営業マンの先輩から手伝いを頼まれたもえぎ。急ぐこともないのでお手伝いすることにしたのだけれど、先輩の渡してきた資料ROMは間違いで……。
AVという単語は出てきますが、単語のみです。何にも描写はありません。
「なんじゃこれは」
渡されたCD-ROMをPCにセットし、開けた途端の、私の一言。
すぐさま周りを確認する。よし、誰も私の方を見ていない。画面も見られていない。OK。
そして目をつぶって、そのままノートPCを閉じる。
すーはーすーはー。深呼吸すること数回。よし、落ち着いた。
そして私はもう一度、PCを開いた。
……やっぱ、えーぶいじゃないの。
開いたPCの画面には、あられもないお姉さまの画像がくっきりはっきり映っていた。
事の起こりは15分ほど前。
終業時間を数分過ぎていたので、私もそろそろ退散しようと、荷物をまとめかけていたところに、
「ゴメン! うちの営業事務の子帰っちゃったんだけど、急ぎで資料が必要になってさ。俺、今から出ないといけないんだけど、若菜さん手伝ってもらえないかな?」
と平身低頭で懇願してきたのは、隣の隣の課の早蕨翡翠さんだった。
早蕨さんは私よりも4つ上の27歳で、この営業部の若手ホープと言われているお方。背も高くスタイルもいいし、ブランド物のスーツをさらりと着こなし、清潔感もばっちり。もちろんイケメン。乙女の夢をぎゅっと凝縮したようなお方だ。
ちなみに私は新卒二年目、ひよこに毛が生えたくらいの、まあまあドジは踏まなくなった営業事務23歳彼氏なし、普通っ子。
営業事務は、各課に一人配置されていて、私は営業三課付きの事務。そして早蕨さんは営業一課の所属なので、顔は知っていても接点なんてほとんどありゃしない。
なのになぜ、そんな乙女の夢濃縮還元ジュース(いや還元したらダメか)のような早蕨さんが、私のようにどこにでもいる一般事務員を知っているのか。
早蕨さんの所属する一課サマは、わが社をしょって立つと形容しても過言ではないエリート集団で。海外事業がメインなので、他の課よりもハンパなく忙しい。だから時たま、私が一課サマの事務ヘルプに呼ばれることがあったからだ。それで私のことを知ってるんですよ。
「今から、ですか?」
「うん、帰ろうとしているところ悪いんだけど……」
あ、カバンにいろいろ詰め込んでいるのを見られてましたね。ケータイをしまうのがすっごいためらわれるんすけど。つーか、おたくの課の事務さんはどこ行ったのかな?
「関屋さんはいらっしゃらないんですか?」
関屋さんというのが一課サマ付きの事務さんで、仕事はきっちりしていて残業もいとわない人のはず。こんな終業時間きっちりに退社するような人ではないはずなんだけど。
早蕨さんの向こうを覗き込んで探す素振りを見せれば、
「彼女、今日体調が悪いらしくて定時上がりしたんだよ」
「あら~。大変ですね」
早蕨さんは、困ったように眉を下げてそう説明してくれた。そーか。それなら納得ですわ。
じゃあ、仕方ないですね。別にこの後急ぐ用事もないし、一人暮らしだから待っている家族もいないし~。
「わかりました。どうすればいいんですか?」
「このROMん中のデータを整理して、見やすいグラフにまとめてほしいんだ――」
私が快く(?)返事をすると、ほっとした様に微笑んでから、早蕨さんの説明が続いた。まあ、ちょいちょい一課サマのお手伝いをさせられる身として、何度かやったことのある資料作成なので、簡単なレクチャーを受けただけでできる代物だったからよかったよ。資料を翻訳してね☆ とかだったらソッコー退散ものだったけど。
早蕨さんからケースに入ったCD-ROMを受け取り、電源を落としたばかりのPCをもう一度立ち上げる。カバンにしまい損ねたケータイは、もちろんまたPCの横に鎮座して。
「二課の子も、今ちょうど手が離せないらしくて、若菜さんにお願いするしかなかったけど、ごめんね! 俺、一時間ほどで帰ってくるから、それまでにお願いできるかな?」
「たぶん大丈夫だと思います」
「できるだけでいいから」
「はい、わかりました。行ってらっしゃい」
「じゃあ、行ってくるね!」
ざっと見積もってもそんなに難しい資料ではなかったから、一時間もあれば余裕でできると踏んだ私は、早蕨さんを笑顔で送り出す。
早蕨さんは、資料作成の手伝いが見つかってほっとしたのか、とっても素敵スマイルを私に大盤振る舞いしてくれた。くっ、笑顔がまぶしいぜ……。
白い歯を見せながら半身になって私に手を振る早蕨さんに、小さく手を振り返して送り出してから、立ち上がったPCに向かう。
帰りが小一時間遅くなるだけだし、まあいっか。今日は自炊できないけど、デパ地下でちょっと豪華なお惣菜買って帰ろう。
「残業代は営業スマイル~」
自作のわけのわからない歌を口ずさみながら、私はPCに資料の入ったROMをセットした。
……そして冒頭に戻る。
えーと、わたくしこと若菜もえぎの座席が、いわゆる窓際と言われる場所なのは、今の状況だとすっごい助かった。ちなみに窓際な上にフロアの端っこなので、後ろ・壁、右横・窓、左横と前・営業さんの席、となっている。人生の斜陽時期に差し掛かっているおじ様にはものすごく不評な席だけど、ワタシ的には目立たなくて、たまに外を眺めてぽけっとできるのでなかなか気に入っている席だ。まあそもそも超一流商社といわれるうちの会社に、そんな不要な社員なんかいないんだけどね。だから窓際っつっても単に窓の横の席でしかない。意味はない。でもって、大体事務の子が端っこに位置するから、大体事務の子が窓際族になる。うん、意味はない。
ちなみに隣と前の先輩社員はフツメンです。でも優しいし、お菓子くれるから好きだよ? そーいや早蕨さんと同期とかそんな感じだったような。まあ、どうでもいいことだけど。今その二人は外回りに行っていて不在。これも助かった。
再生をクリックしていないからタイトルしか見えてないけど、あきらかにえーぶいですよ、これ。
……早蕨さん、なんつーものを。
そしてこれを、私にどーせいと? さすがにここからグラフは作成できないよ。
とりあえず冷静なまま、画面を閉じる。
えーぶいは、中身こそ見たことないけど、不肖の兄の部屋でパッケージとかを何度か目撃したことがあるので、知らないふりはしないよ。健全な男なら仕方のない物でしょう。
まあ、それはいい。問題は、だ。これを私に渡すとは、早蕨さん、何を思ってだろう。
お? まさかのセクハラか?! セクハラなのか?!
常に爽やかな風を纏ったような好青年に見せかけて、実は変態だとか?
う~ん、早蕨さんの不興を買った覚えなんてないんだけど? つーかそこまで接点ないし。
しかし困った。
誰かに相談するにも、何ていって相談したらいいのさ? ほら、早蕨さんのイメージってものもあるし? いやいや、そもそもこんなセクハラするような奴のイメージとかどうでもよくね?
今、私の周囲に人がいないので、誰か相談できそうな人はいないか悶々としながら振り向けば、隣の課の事務の先輩が、すんごい勢いでPCにデータを打ち込んで……いや、叩き込んでいる姿が目に入った。うん、今邪魔はできない。命は惜しい。
周りの先輩も、誰もいない。
困ったわー。
「若菜さん? できた? どうしたの?」
「へっ?」
PCの前で一人頭を抱えていると、後ろから肩をポンッと叩かれ我に帰る。
一人で悶々と悩んでいたらあっという間に一時間経っていたようで、後ろから早蕨さんに声を掛けられていた。
「さ、早蕨さんっ!!」
「ん? どうした? 何かわからない点でもあった?」
私が掴みかからんばかりの勢いで早蕨さんの腕を取り廊下に連れ出すと、早蕨さんは訳が分からないのかキョトンとしている。ええい、この期に及んでしらばっくれる気か!
綺麗な顔でしらばっくれても容赦しませんからね!
でも優しい私は周りに気を遣って声のトーンを落として、
「資料としていただいたROMなんですけど、あれ、えっちぃのでしたよ。会社に持ち込むなとは言いませんから、せめて人前には出さない方が早蕨さんのためだと思います」
優しいわ~、私。早蕨さんにやんわりと忠告に留めるなんて! セクハラだったりするかもなのによ?
しかし早蕨さんは理解できていないのか、
「え? ちょっと待って、どういうこと?」
と、さらに小首をかしげてキョトンとしている。いつもクールで落ち着いたお兄様なのに、そんなかわいらしい仕草するとか、ギャップ萌えを狙ってんですか?! ……違うか。
「ですからー、さっきまとめておいてと渡された資料のCD-ROMがですねー、いわゆるAVだったってわけですよー。あ、中身は見てませんよ? タイトルだけでびっくりして閉じちゃったんで」
仕方ないから説明すると、その場にがっくりと崩れ落ちる早蕨さん。
わ~、リアルに四つん這いになって灰になってる人、初めて見たわー。……って、そうじゃなくて。
「わ、わ、早蕨さんっ?! ちょ、ここでは人目がありますから、落ち込むなら休憩室かどこかでされた方がいいですよ?!」
自分でもわけがわからないなと思うけど、とっさに私は早蕨さんを引き起こしながらそう口走っていた。
落ち込む大の男をうんしょうんしょと休憩室まで引っ張っていき、とにかくベンチに座らせる。早蕨さん、細マッチョとはいえ170cm後半ですよね? 私自慢じゃないけど150ちょっとしかないんですよ! どんだけ重労働だったか!
「ということで資料はできていませんが、これは私ではどうすることもできませんのでご自分で何とかしてくださいね。私ってば優しいので、誰にも言いませんけど、二度目はないですからね?」
うなだれる早蕨さんの前で、腰に手を当て仁王立ちしてそう宣言する。後輩のくせに偉そう? いや、こっちは悪くないしセクハラ被害者よ。
しかしふんぞり返る私に一切怒ることなく、早蕨さんはハッと顔を上げると、
「あっ! そう言えば若菜さんのところに行く前に、柏木から似たような色のROMを渡されたんだった。なんか言ってた気がするけど、俺、急いでたからちゃんと聞いてなかったわ……くそっ、あれか!! かーしーわーぎー!!」
柏木さんというのは、早蕨さんと同じ課の営業さんで同期の人。ほんとかどうか知らないけど、柏木さんから渡されたのが例のROMだったみたいだ。
今にも柏木さんのところに殴り込み掛けそうな早蕨さんだけど、その辺りは私には関係ない。とにかく、原因がわかってよかったですね? それよりもちゃんと資料のROMはあるのでしょうか。そっちの方が心配ですけど。
取り乱す早蕨さんを放置することに決めた私は、
「では、私はこれで失礼しますね。後は何とかやってください」
ぺこり。
私は踵を返して休憩室を出ようとしたんだけど、
「ちょっと待って、若菜さん! この後用事がなければお詫びをしたいんだけど」
復活してきた早蕨さんに腕をつかまれ引き留められた。
「いいえ、結構ですよ? 結局お手伝いはしていませんし」
「いや、迷惑をかけたし、貴重な一時間を無駄にさせてしまったから」
「別にそれくらい。どうせこの後帰ってご飯作るくらいしか用事なんてなかったですし。……ではひとつ確認させていただきますけど、これはセクハラではなかったんですね?」
故意か事故か。私は早蕨さんの目を見据えて問いかける。
「当たり前だろう! そんなことするはずない! ……でもROMを確認しなかった俺のせいだよな。うん、悪かった、ごめん、この通り!!」
それまで動揺しまくりだった早蕨さんの目が、しっかりと私の目をとらえて真剣な光を帯びる。
そしてとっても綺麗な土下座……はいぃ?!
「ぎゃー!! 早蕨さんっ!! やめてくださ~い!!」
営業のホープが、イチ事務員に向かって何やってるんですか~!? いつの間にベンチから降りたよ? いつの間に額づいてるよ? こんなところ誰かに見られたら、私、それこそ明日から会社に来れませんて!!
「じゃあ、お詫びさせてくれる?」
「はいはい! お願いします、付き合います!!」
「じゃあ、帰り支度しよう! 美味しいフレンチの店知ってるんだ」
額づいた早蕨さんを引き起こしながらそう叫ぶと、嬉しそうに勢いよく顔を上げた彼。その勢いのままに立ち上がると、私を引っ張ってデスクのあるフロアへとずんずん進んでいった。
なに? 立ち直り早いんですけど?
それからことあるごとに早蕨さんに絡まれるようになった私。
「柏木から慰謝料ぶんどったから、美味しいもの食べに行こう!」
「え? いや、もうこの間お詫びと称して高級フレンチごちそうになりましたから、もういいですよ!」
「あれはあの日の残業代兼お詫びだから」
「えーと」
「今日のは、柏木からのお詫び」
「はあ」
「じゃあ、口止め料ってとこでどう?」
「……口外しませんけど?」
「まあまあ」
金曜の就業間際。颯爽と私のデスクに誘いに来るのをやめてください! 貴方を狙うお姉様方の視線がハンパないですから。
「三宮から迷惑かけてゴメンネって、これ」
そう言って今話題のお菓子を手渡される。三宮さんというのは柏木さんの彼女さんで、総務にいる優しく美しいお姉様。うう、どうせなら三宮さんから直接いただきたかったわ……ではなくて。三宮さんからそんなことをしてもらうギリはないよ。あ、柏木さんのしりぬぐいか?
「いやいや、そんなの受け取れませんよ~」
「いや、三宮からの口止め料」
「う」
もとはといえば柏木さんがヤラシイものを持っていたのがいけなかったからか。彼氏の名誉のため? う~ん、柏木さん、アナタ愛されてますなぁ。
慰謝料だ~口止め料だ~と、毎週のようにご馳走され~の、プレゼントされ~の。
「もえぎ、メリークリスマス!」
……いつの間にか名前を呼び捨てにされーの。
「……なんでしょう、これ?」
「ん? 慰謝料?」
「いや、違うでしょう!!」
早蕨さんがディナーの後に渡してきたのは大粒のダイヤが輝く指輪で、これいったいいくらしたよ? という代物。
「じゃあ、口止め料。俺の生涯を口止め料として渡します。どうか受け取ってください」
「えええ~?! そ、そんなのいただけませんて! そもそもこんなにあれやこれやとしていただかなくてもセクハラでなかったことは理解してますし、私も軽々しく口外もしませんから」
あれ? 今なんかドサマギでおかしなこと言ったね、早蕨さん。しかし私が慌てふためいてお断りを入れると、
「ほんとはさ~、最初の時に手伝ってくれてありがとうお礼にご飯おごるよって、誘うつもりだったんだけどな。ちょっと予定が狂ってこんなことになってしまった」
「あ~」
「慰謝料とか口止め料ってのは口実。もえぎの傍にいたかっただけ」
「かなり遠回りですね」
「まあな。結構楽しんだけどね。で、もえぎは? 俺のこと嫌い?」
「は?」
いきなり真っ直ぐ見つめられるとドギマギしてしまうじゃないですか!