後編
じぃちゃんの解説のおかげで、私は第一幕よりずっとお芝居に入り込めた。
森田剛くんが一途に慕い、憧れていた大東俊介くんが本当は心に闇を抱えていて自殺してしまうところでは、私もママもじぃちゃんと一緒にすごく泣いてしまった。
どんなにつらいことがあっても自殺なんて、して欲しくない。
しかも森田剛くんは大東俊介くんのためなら、どんな苦しみでも背負うと心を寄せていたのに。
底知れぬ孤独を二人は身を寄せ合って支えあっていたはずなのに。
一人だけ逃げ出してしまうなんて。
一流の作家というのは怖いな、と思った。こんなに恐ろしく、美しく、残酷で、優しい話が書けるんだ。
森田剛くんはどんどん転落していく。
第二幕と第三幕の幕間に、また私たちはビュフェに行き、じぃちゃんはシャンペンを、私たちはコーヒーを飲んだ。
「でも美にとりつかれるって?」
「『トニオ・クレエゲル』では芸術家としての天才を持つことは一般社会から追放される呪いみたいなものと言っていましたけどね。『金閣寺』では美や芸術は主人公を苦しめるもので、主人公はそれとの対決に挑むんです。『金閣寺』を燃やすんです」
「えっ!?私のクラスにも、火炎放射器で友達の家を燃やしたと豪語している不良がいるんですが、そういうものでしょうか?」
「ちょ、ちょっと違うんじゃないでしょうか?」
その時、じぃちゃんのケータイからすごくカッコいいメロディが流れた。
「ステキ。何て曲ですか?」
「リヒャルト・ワーグナーの『ワルキューレの騎行』という曲ですよ。『金閣寺』はトーマス・マン作品を下敷きにしていますけどね、そのマンの世界の背景にはリヒャルト・ワーグナーの『ニーベルングの指輪』があるんです。英雄ジークフリートの愛と死。神々の世界の崩壊が描かれる。最後、神々の宮殿ヴァルハラが燃えるのと、金閣寺が燃えるのが二重写しになります」
神々の宮殿が燃える・・・
感慨に浸っていたら、ママが「じぃちゃんのしゃべり方はチャーミングですね」と頓珍漢なことを言った。
じぃちゃんは頬を赤らめ、照れていた。
じぃちゃんは意味不明なことを呟いた。
「あの少年が三島自身であり、トーマス・マンでもあり、トニオ・クレエゲルでもあり、ジークフリートであり、そして私自身でもあるんですよ」
頭はいいけど、時々ボケちゃうんだ。
そして、私たちは第三幕の金閣寺炎上を見たが、それはSFか神話(と言ってもマンガでしか知らないけど)のようだった。哀しく、そして美しかった。
じぃちゃんも私もママも涙を流していた。
最後、森田剛くんと大東俊介くんと、もう一人の主要キャストの高岡蒼甫くんが並んで立っていた。三人より一拍早くじぃちゃんが言う。
「生きよう」
生きよう、生きよう、生きよ・・・
例え、全てを失ってしまっても生きよう。生きていこう。
そうか、この作品もまた一つの希望を描いたハッピーエンディングだったんだ・・・
じぃちゃんも、私も、ママも、お客さんたちは総立ちになり、拍手を送った。
終演後、じぃちゃんが呟いた。
「あの、おおひがししゅんすけという子は初めて見たけど・・・」
「じぃちゃん、あれは『だいとうしゅんすけ』って言うんですよ」
「おぉ、そうだったのか。今日はまた一つ新しく正しいことを学べた素晴らしい一日だった」
じぃちゃんは満面の笑みを浮かべていた。
地下鉄の栄駅で私たちはじぃちゃんと別れた。じぃちゃんのバイバイは変だった。
おいでおいでのような可愛いバイバイ。
三島由紀夫の「金閣寺」という文庫本を買ったけど、けっこう分厚くて、難しそうな本だった。
私は最後のページの台詞だけ確かめて満足してしまった。
生きよう。
(fin)