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地味な派遣の私とエリート部長の秘密の関係。それは金曜夜にだけ現れる「ラーメン同盟」のはずが、いつの間にか溺愛されてます。  作者: 水凪しおん


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第8章:見合い話と、派遣契約の行方

 お互いの弱さを分かち合い、二人の距離が急速に縮まったあの夜から、美咲の日々はほんのりと色づいて見えた。一条とは、会社ではこれまで通り慎重に距離を保っていたが、時折交わす視線には確かな熱が宿り、彼のデスクに書類を届けに行くだけで胸が高鳴った。金曜の夜のラーメン巡りは、もはや恋人たちのデートそのものだった。


 しかし、そんな穏やかで幸せな時間は、長くは続かなかった。


 ある日の昼休み、給湯室で聞こえてきた同僚たちのひそひそ話に、美咲は足を止めた。


「ねえ、聞いた? 一条部長に、お見合いの話が出てるんだって」

「え、ほんと!? 相手はどこの人?」

「なんでも、親会社と深いつながりのある、大手銀行の頭取の娘さんらしいわよ。すごい美人で、経歴も完璧なんだって」

「うわー、まさにパーフェクトカップルじゃない! 部長ももう三十二だし、そろそろ身を固めてもおかしくないもんね」


 ガシャン、と小さな音を立てて、美咲の手からマグカップが滑り落ちそうになった。慌てて掴み直したが、指先は震え、血の気が引いていくのが分かった。


 見合い話。それも、自分とは比べ物にならないほど完璧な経歴を持つ女性との。


 頭では分かっていた。彼のようなエリートなら、そんな話はいくらでもあるのだろうと。けれど、実際にその事実を突きつけられると、まるで冷水を浴びせられたような衝撃だった。あの居酒屋の夜、確かに心は通じ合ったはずだ。でも、それはそれ、これはこれ。恋愛と結婚は別物だ。特に、彼のような立場の人にとっては。


 重い気持ちを抱えたままデスクに戻ると、今度は人事部のマネージャーから内線が入った。


「佐藤さん、ちょっといいかな。次の契約更新の件で、少し話があるんだ」


 嫌な予感が、胸をよぎる。会議室で向かい合ったマネージャーの口から告げられたのは、美咲が最も恐れていた言葉だった。


「率直に言うとね、来期から部内の人員体制が見直されることになって、派遣社員のポジションを一つ、減らすことになりそうなんだ。もちろん、まだ確定じゃないし、佐藤さんの働きぶりは高く評価している。でも、今のままだと、次の契約更新は難しいかもしれない」


 頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。見合い話に、契約終了の危機。まるで、天国から地獄へ突き落とされたかのようだ。


 完璧な令嬢と見合いをする一条。そして、仕事すら失うかもしれない自分。


 あまりにも違う、圧倒的な身分の差。居酒屋で彼に「君は地味なんかじゃない」と言ってもらえて、少しだけ自信が持てた。でも、それは所詮、気休めだったのだ。現実の世界では、自分はいつ切られるか分からない不安定な立場の派遣社員で、彼は親の決めた相手と結婚し、盤石な未来を歩んでいくエリートなのだ。


 その日を境に、美咲は笑うことができなくなった。パソコンの画面を見つめていても、文字は頭に入ってこない。ただ、同僚たちの「部長、お見合いするらしいよ」という噂話と、「派遣、一人減るらしいよ」という囁き声だけが、幻聴のように頭の中でぐるぐると回り続けていた。


 金曜の夜、一条からラーメン巡りの誘いが来た。断る理由も思いつかず、美咲は力なく待ち合わせ場所へと向かった。


「どうした? 顔色が悪いぞ」


 会うなり、一条が心配そうに眉をひそめた。


「……なんでもありません」


 そう答える声は、自分でも驚くほど冷たく、乾いていた。その日のラーメンは、こってりとした味噌ラーメンだったが、全く味がしなかった。砂を噛んでいるようだった。


「美咲?」

「……」


 一条が何かを話しかけてきても、上の空で生返事しかできない。彼は、美咲の態度の変化に戸惑っているようだった。


 どうして、あなたはそんなに優しいの。どうせ、私とは違う世界の人なのに。どうせ、お見合いして、綺麗な人と結婚するくせに。


 黒い感情が、心の奥底から次々と湧き上がってくる。彼にぶつけてしまいたい衝動と、そんな資格は自分にはないという絶望感。二つの感情に引き裂かれそうになりながら、美咲はただ黙々と、味のしないラーメンを口に運び続けた。


 店を出て、駅までの帰り道。いつもなら繋がれるはずの手は、どちらからも伸ばされることはなかった。重い沈黙が、二人の間に横たわっている。


「ラーメン巡りも、もうすぐ終わりが来るのかもしれない」


 不意に、そんな思いが胸をよぎった。彼が見合いをして結婚すれば、こんな秘密の関係は続けられないだろう。私が契約終了になれば、彼と顔を合わせることさえなくなる。


 どちらにしても、私たちの時間に終わりが近づいている。


 その抗えない現実に、美咲は絶望的な気持ちになるのだった。輝いて見えた世界は、再び色を失い始めていた。

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