第5章:ライバルの影と、揺れる心
営業企画部には、誰もが認める一輪の華がいた。その名は、西園寺レイカ。海外の大学を主席で卒業し、数か国語を自在に操るエリート正社員。彼女の企画書は常に完璧で、その上、華やかな容姿と抜群のスタイルを兼ね備えていた。社内では、彼女こそが完璧な一条部長にふさわしいと、誰もが噂していた。
レイカは、自信に満ち溢れていた。その美しい瞳は常に前だけを見つめ、彼女の世界に、佐藤美咲のような地味な派遣社員が入る余地は一ミリもなかった。すれ違う時に会釈をしても、レイカは気づかないふりをするか、あるいは値踏みするような冷たい視線を一瞥するだけ。美咲にとって、彼女は遠い世界の住人であり、同時に少しだけ苦手な存在だった。
そして、そのレイカが一条に特別な感情を抱いていることは、火を見るより明らかだった。
「一条部長、昨日のプレゼンの件ですが、少しご相談したいことが……」
業務上の相談にかこつけて、彼女は頻繁に一条のデスクへ足を運んだ。その声は猫がじゃれるように甘く、普段の怜悧な彼女からは想像もつかない。一条が企画を褒めれば、「部長にご指導いただいたおかげですわ」と可憐に微笑む。その姿は、まるで一幅の絵のように完璧で、美咲は遠くからそれを眺めながら、自分がいかに場違いな存在であるかを痛感させられるのだった。
ある日、営業企画部主催の懇親会が開かれることになった。幹事を買って出たのは、もちろんレイカだった。彼女が予約した店は、夜景の見えるお洒落なイタリアンレストラン。美咲のような人間には、少しだけ敷居が高い場所だ。
「佐藤さんも、もちろん来るわよね? 部署の親睦を深めるための会ですもの」
レイカは、わざとらしくそう言って美咲に微笑みかけた。その笑顔には、「あなたのような派遣が来ても、居場所はないけれど」という無言の棘が隠されているように感じられた。断ることもできず、美咲は「はい、参加します」と答えるしかなかった。
懇親会当日。美咲は、クローゼットの中から一番地味で目立たないワンピースを選んだ。会場に着くと、すでにほとんどの社員が集まっており、華やかな雰囲気に気圧されそうになる。美咲はそっと隅の席に座り、ウーロン茶の入ったグラスを両手で握りしめた。
会の中心にいるのは、やはり一条とレイカだった。
「このワイン、さすがレイカさん。素晴らしいチョイスだ」
「まあ、部長にそう言っていただけるなんて光栄ですわ。このお料理に合うかと思って、選んでみたんです」
親密そうに言葉を交わす二人。並んで立つその姿は、誰もが納得するほどお似合いだった。美しい男女が、美しい場所で、美しい会話を交わしている。それは、美咲が毎週金曜日に体験している、ラーメン屋のカウンターの世界とは、あまりにもかけ離れた光景だった。
ふと、一条と目が合った。彼は一瞬だけ美咲に視線を向けたが、すぐにレイカとの会話に戻ってしまった。その一瞬の視線が、何を意味するのかは分からない。ただ、彼の隣にいるのが自分ではないという事実が、ナイフのように美咲の胸に突き刺さった。
チクリ。
胸の奥に、小さな痛みが走る。今まで感じたことのない、嫌な痛み。これが、嫉妬という感情なのだろうか。
(何を勘違いしてるの、私)
美咲は自分を嘲笑う。私と部長は、ラーメンを一緒に食べるだけの、秘密の契約で繋がっているにすぎない。彼が誰と親しくしようと、私には関係のないことだ。会社での彼は、私にとってただの上司で、彼の隣に立つことを許されているのは、西園寺さんのような、彼と同じ世界の人間だけ。
分かっている。分かっているのに、グラスの中で揺れる自分の顔が、情けなくて泣きそうに見えた。
楽しいはずの懇親会は、美咲にとって針の筵のようだった。周りの楽しそうな会話も、美味しいはずの料理の味も、何も感じられない。ただ、一条とレイカの完璧なツーショットだけが、やけに鮮明に目に焼き付いていた。
「ラーメン巡り」という秘密の時間が、自分を勘違いさせていたのかもしれない。会社での立場も、育ってきた環境も、何もかもが違う。あの金曜の夜だけの特別な関係に、それ以上の意味を求めてはいけないのだ。
美咲は、誰にも気づかれないようにそっと席を立ち、会場を後にした。きらびやかな店の灯りを背に、一人夜道を歩く。
(そうだ。ラーメンを食べるだけの関係。それ以上を望んじゃ、ダメなんだ)
自分に何度もそう言い聞かせながら、美咲はポケットの中でスマートフォンを握りしめた。次の金曜日、一条からラーメン巡りの誘いが来た時、自分は果たして、今までと同じ気持ちで「はい」と答えられるのだろうか。揺れる心に、答えは見つからなかった。




