番外編1:一条 蓮のモノローグ ~孤独なラーメンナイト~
完璧であれ。物心ついた時から、呪いのように浴びせられ続けた言葉だった。医者である父の期待に応えることだけが、俺の存在価値だと思っていた。だから、受験に失敗し、父から勘当同然の扱いを受けた時、俺の世界は一度、終わった。
伯父に拾われる形でグランデ商事に入社してからも、俺は「完璧」という鎧を脱ぐことができなかった。弱みを見せれば、足元を掬われる。常に気を張り詰め、誰よりも仕事をし、結果を出す。そうやって、自分の居場所を必死で守ってきた。社長の甥というレッテルも、俺を孤独にさせた。誰も、本当の俺を見ようとはしなかった。
そんな俺にとって、唯一の逃げ場所が、ラーメン屋だった。変装をして、誰にも気づかれず、ただ無心に一杯のラーメンと向き合う時間。濃厚なスープをすする瞬間だけ、俺は重い鎧を脱ぎ捨て、「一条蓮」というプレッシャーから解放された。ラーメンは、俺にとって孤独な戦友のようなものだった。
あの日、いつものように「麺屋 がむしゃら」の行列に並んでいた時、彼女を見つけた。営業企画部の、佐藤美咲。いつもフロアの隅で、黙々と、しかし驚くほど丁寧に仕事をしている、あの地味な派遣社員。
まずい、と思った。俺の唯一の聖域が、見つかってしまった。彼女が慌てて逃げ去っていく背中を見ながら、どうやって口止めをしようか、そればかりを考えていた。
週明け、彼女の様子は明らかにおかしかった。俺の顔をまともに見ようとせず、怯える小動物のように体を強張らせている。その姿を見ていたら、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた。そして、同時に、ある考えが頭に浮かんだ。
口止め料として、ラーメン巡りに付き合え。
今思えば、なんて突飛で、身勝手な提案だっただろう。でも、咄嗟にそう言ってしまったのだ。それは、ただの口止めではなかったのかもしれない。俺は、彼女に興味があったのだ。
いつも、美味しそうにお弁当を食べている姿を、遠くから見ていた。彼女が同僚とランチに行く店のセレクトが、渋くて面白いことも知っていた。彼女はきっと、食べることが好きな人間だ。そんな彼女と、俺の愛するラーメンを食べたら、どんな化学反応が起きるだろう。彼女は、どんな顔でラーメンを食べるんだろう。
その純粋な好奇心が、俺を動かした。
初めて二人で訪れた「中華そば すずらん」。緊張しながらも、スープを一口飲んで「美味しい」と、花が咲くように笑った彼女の顔を、俺は一生忘れないだろう。その瞬間、俺の孤独なラーメンナイトは、終わりを告げたのだと悟った。
彼女と過ごす時間は、俺を確実に変えていった。激辛ラーメンに悶絶する顔。猫舌で麺を冷ます俺を見て、楽しそうに笑う声。自分の将来への不安を、涙ながらに打ち明ける素直さ。そのすべてが、愛おしかった。彼女といると、完璧ではない、情けない自分を晒すことができた。それは、俺にとって何よりの救いだった。
だから、彼女が心を閉ざし、俺を拒絶した時は、本気で世界が終わるかと思った。俺のせいで、彼女を傷つけ、追い詰めてしまった。彼女がいないラーメンは、本当に味がしなかった。
もう、間違いたくない。俺は、彼女を守りたい。彼女の笑顔を、隣でずっと見ていたい。
告白した時、彼女が涙を流しながら「私も好きです」と言ってくれた瞬間、俺の世界は、ようやく本当の色を取り戻した。
これからはもう、孤独なラーメンナイトじゃない。彼女という温かい光と共に、未来の味を探しに行こう。おかわり、もう一杯。君との幸せな時間を、何度でも味わいたい。




