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地味な派遣の私とエリート部長の秘密の関係。それは金曜夜にだけ現れる「ラーメン同盟」のはずが、いつの間にか溺愛されてます。  作者: 水凪しおん


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第11章:深夜のオフィスで

 あの日、同僚の真由に励まされてから、美咲は人が変わったように仕事に打ち込んだ。契約更新が危ういと言われた原因の企画。それは、新しい販促キャンペーンに関するものだった。これまでの自分のやり方ではダメだ。もっと深く、もっと多角的に。


 美咲は、終業後も一人オフィスに残り、過去のデータを徹底的に洗い直した。売上の推移、顧客の動向、競合他社の戦略。地味で骨の折れる作業だったが、不思議と苦ではなかった。むしろ、一つの目標に向かって没頭する時間は、一条とのことや将来への不安を忘れさせてくれた。


 連日、終電間際まで残業する日々が続いた。静まり返ったオフィスで、自分のキーボードを叩く音だけが響く。


 その夜も、美咲は一人、パソコンの画面と睨めっこをしていた。企画の改善案は、少しずつ形になってきている。しかし、あと一歩、何か足りない。壁にぶつかり、大きなため息をついた、その時だった。


 カチャリ、とオフィスのドアが開く音がした。びくりとして顔を上げると、そこに立っていたのは、一条だった。忘れ物でも取りに来たのだろうか。彼は、まだ残っていた美咲の姿を認めると、少しだけ驚いたように目を見開いた。


 気まずい沈黙が流れる。最近のよそよそしい関係を思うと、なんと声をかけていいか分からない。美咲が俯いて黙り込んでいると、一条が静かに近づいてきた。


「……また、残業か」


 その声は、以前のように冷たくはなく、どこか疲労を気遣うような響きがあった。


「はい。少し、やりたいことがあって」

「そうか」


 彼はそれだけ言うと、一度自分のデスクに戻ったが、すぐにまた美咲の元へやってきた。そして、こん、と小さな音を立てて、彼女のデスクに温かい缶コーヒーを置いた。


「……え?」

「無理はするな。倒れられては、こっちが迷惑だ」


 ぶっきらぼうな言い方。でも、その不器用な優しさが、今の美咲の心には痛いほど沁みた。


「ありがとうございます……」


 かろうじてそれだけを言うと、一条は美咲のパソコンの画面を、少し離れた場所から覗き込んだ。


「……販促キャンペーンの企画か。まだやっていたのか」

「はい。どうしても、納得がいかなくて」


 すると、一条は何も言わずに、近くの椅子を引き寄せて腰掛けた。そして、美咲が作成していた企画書に、静かに目を通し始めたのだ。真剣な眼差しで画面を見つめる彼の横顔を、美咲は盗み見る。心臓が、ドキドキと高鳴るのが分かった。


 数分間の沈黙の後、彼が口を開いた。


「……このターゲット層の分析は、面白い。だが、アプローチの方法が弱いな」

「はい……」

「例えば、このデータを見てみろ。三十代女性の購買意欲は、週末の夜に高まる傾向がある。SNSとの連動をもっと強化すれば、費用対効果は上がるはずだ」

「SNS……」

「それから、このキャッチコピー。悪くはないが、もっとターゲットの心に直接響く言葉がいい。『頑張るあなたへのご褒美』という切り口だけでなく、『明日の私をもっと輝かせる』といった未来志向のメッセージを加えてみてはどうか」


 彼は、美咲の企画を否定するのではなく、足りない部分を的確に補う、具体的なアドバイスを次々と与えてくれた。それは、まるで霧が晴れていくように、美咲の頭の中をクリアにしていく。すごい。さすが、一条部長だ。


「……でも、なぜ、私に?」


 すれ違いが続いていたのに、どうしてこんなに親身になってくれるのだろう。美咲がそう尋ねると、彼は少し気まずそうに視線を逸らした。


「……君が、一人で必死に頑張っているのは、知っていたからだ」


 その言葉に、ハッとした。彼は、見て見ぬふりをしていたわけじゃなかったんだ。冷たい態度をとっていても、ちゃんと私のことを見ていてくれたんだ。


「君が、この企画にどれだけ真剣に取り組んでいるか。その熱意は、伝わってくる。だから……放っておけなかった」


 それだけ言うと、彼は「じゃあ、俺はこれで」と席を立ち、今度こそオフィスを出て行こうとした。その広い背中に向かって、美咲は声を振り絞った。


「あのっ!」


 彼が、ぴたりと足を止める。


「ありがとうございました! 部長の、おかげで……道が、見えました!」


 振り返った彼の顔は、暗くてよく見えなかった。けれど、「そうか」と短く呟いた声が、ほんの少しだけ和らいでいたような気がした。


 一人になったオフィスで、美咲は彼が置いていってくれた温かい缶コーヒーを、両手でぎゅっと握りしめた。まだ温かい。その温もりが、冷え切っていた美咲の心を、ゆっくりと溶かしていく。


 もう一度、頑張ろう。彼が示してくれた光に向かって。そして、完成した企画書を、胸を張って彼に見せるんだ。


 深夜のオフィスでの予期せぬ出来事は、すれ違っていた二人の心を、再び微かに繋ぎとめてくれたのだった。

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