第10章:同僚の優しさと、小さな希望
すれ違いの日々が続き、美咲の心はすっかり擦り切れてしまっていた。一条との関係も、仕事の未来も、何もかもがうまくいかない。オフィスにいても、ため息ばかりが漏れてしまう。ランチも喉を通らず、デスクで栄養補助食品をかじるだけの日々が続いていた。
そんな美咲の様子を、ずっと心配そうに見ていた人物がいた。同じ派遣社員として働く、一つ年下の鈴木真由だ。彼女は明るく、面倒見の良い性格で、人見知りの美咲にも気さくに話しかけてくれる、数少ない友人の一人だった。
ある日の昼休み。デスクに突っ伏して、どんよりとしたオーラを放っている美咲に、真由が声をかけた。
「美咲さん、大丈夫? 最近、全然元気ないよ。お昼、一緒に行こうよ。私、すっごく美味しいパスタのお店、見つけたんだ!」
その屈託のない笑顔に、美咲は断ることができなかった。真由に腕を引かれるようにして、会社の近くの小さなイタリアンレストランへと向かう。
「ほら、ここのペペロンチーノ、絶品なんだから! 元気ない時は、美味しいもの食べるのが一番だよ!」
真由は、自分のことのように嬉しそうに言い、美咲の分のパスタまで注文してくれた。運ばれてきた湯気の立つパスタを前にしても、美咲はフォークを手に取る気になれない。
「……ごめん、真由ちゃん。なんか、食欲なくて」
「やっぱり。何かあったでしょ。一条部長のこと?」
ドキリとして顔を上げると、真由は心配そうな顔で美咲を見つめていた。
「ううん、違うの。それは……まあ、ちょっとはあるけど、それだけじゃなくて」
美咲は、ぽつりぽつりと自分の状況を話し始めた。次の契約更新が難しいかもしれないこと。それを誰にも相談できずに、一人で抱え込んでいること。一条とのことまでは話せなかったが、それだけでも少し気持ちが楽になった。
話を聞き終えた真由は、怒ったように眉をひそめた。
「何それ! 美咲さん、あんなに真面目に、誰よりも丁寧に仕事してるのに、そんなのひどいよ!」
自分のことのように憤慨してくれる真由の優しさに、美咲の瞳に涙が滲んだ。
「でも、仕方ないよ。私なんて、他に何も取り柄がないし……」
「そんなことない!」
真由は、美咲の言葉を強い口調で遮った。
「美咲さんの作る資料、すっごく分かりやすいんだよ。こないだ私が困ってた時も、さりげなく手伝ってくれたじゃない。ああいう気遣いができる人、なかなかいないよ。もっと自分に自信持ってよ!」
まっすぐな励ましの言葉が、固く閉ざされていた美咲の心に、温かく染み込んでいく。
「それにさ、まだ決まったわけじゃないんでしょ? だったら、今から頑張ればいいじゃん! 見返してやろうよ、そういうこと言う人たちをさ!」
そう言って、真由は「ほら、食べて!」と美咲の口元にパスタを運んだ。その勢いに負けて、美咲は恐る恐る口を開ける。ニンニクとオリーブオイルの香ばしい香りが口の中に広がり、久しぶりに「美味しい」と感じた。
「……美味しい」
「でしょ? だから、元気出して。私でよかったら、いつでも話聞くからね」
真由の優しさに、美咲は堪えきれずに涙をこぼした。一人で抱え込んで、どんどん悪い方へと考えが向かっていた。でも、話を聞いてくれる人がいるだけで、こんなにも救われるなんて。
ランチを終えて会社に戻る頃には、美咲の心には、小さな光が灯っていた。
(そうだ。まだ、終わったわけじゃない)
落ち込んでいても、何も変わらない。契約更新が難しいと言われたのは、営業企画部の新しいプロジェクトに関する企画が、まだ弱いと判断されたからだ。だったら、もう一度、その企画を練り直してみよう。誰のためでもない。自分のために。
いや、違う。
美咲の脳裏に、一条の顔が浮かんだ。彼に認めてもらいたい。彼に「よくやった」と、たった一言でいいから、褒めてもらいたい。
その純粋な想いが、美咲の心に強いエンジンをかけた。もう、うじうじするのはやめよう。自分の力で、未来を掴み取りにいくんだ。
デスクに戻った美咲は、新しいファイルを作成し、キーボードを叩き始めた。その背筋は、久しぶりにしゃんと伸びていた。小さな希望の光に向かって、美咲の静かな戦いが、今、始まろうとしていた。




