92/190
(1) 静まり
エルピスが救済を成し、星層アストラが分離された後。
世界は、かろうじて平和を取り戻そうとしていた。
風だけが、戦いの痕跡を撫でている。
海は荒れ、かつての波は嘶きの痕を残し、割れた岸壁や沈んだ船がそのまま打ち上げられていた。
山々も噴火の傷を負い、溶岩の痕や黒く焦げた斜面が広がっている。
まるで、世界自身が終わろうとしていたかのような静寂だ。
焦げた地面の片隅に、小さな花がひっそりと咲き
誰も手をかけず、誰も気づかず、それでも光を浴びている。
割れた窓から差し込む光が、教会の椅子を淡く照らす。
埃が舞い、光の筋が揺れる。
まるで世界が、ゆっくりと息を継いでいるように。
人々は助かった。
でも、完全ではない。
小さな傷。残った影。
思い出せない痛み。
忘れてしまった恐怖。
失われた笑顔や、途絶えた声。
それでも、世界は少しずつ、呼吸を再開していた。
道に落ちた壊れた鎧の一片、半壊した家屋の屋根、燃え残った薪の山――
戦いの痕跡は消えていない。
けれど、光の中では、どれも静かで柔らかい。
あたかも、世界が優しく覆いかぶさって、痛みを押し流そうとしているかのようだ。
静けさの中で、見えない何かが動いていた。
それはまだ名もなき、誰も知らない存在。
だが、確かに世界の片隅で、調律は静かに始まっている。




