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『救済ではなく、継承の物語』― アストラル継承記 ―  作者: 龍の末裔
第17章|成長と選択
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(6) 翡翠のまなざし

風が整う。


歪みの痕跡は、土へと沈み、芽へと変わる。


翡翠は境界の奥、水辺に立っていた。


幼い姿。


けれど瞳は深い。


淡く光るアイスグリーンの髪が、風に揺れる。


「……ふむ」


小さく呟く声は、年寄りのように落ち着いている。


「若いのう」


視線の先。


観測者と、その隣に立つ少年。


藤紫。


世界に選ばれた者。


あの立ち方は、知っている。


“削れる者”の立ち方だ。


己を後ろへ置き、世界を前へ置く。


翡翠の胸に、遠い記憶が疼く。


焼けた匂い。


倒れた社。


守れなかった村。


――両親も、一族も、全て。


アストラルに呑まれた。


幼い身体はそのまま。


時間だけが積もった。


「守れぬというのは……骨身に沁みるものよ」


指先から、小さな若芽が芽吹く。


歪みの残滓を吸い上げ、静かに浄化する。


命を少し削る。


だが、惜しくはない。


使いどころは弁えておる。


多用はせぬ。


己が倒れれば、龍神もまた痛む。


その理を、翡翠はよく知っている。


視線を、少年へ移す。


直。


あの目は……。


「ほう」


わずかに目を細める。


あれは、守られる側の目ではない。


守ると決めた者の目だ。


しかも。


“対等に立つ”と決めた目。


観測者の前に一瞬出た位置。


あれは偶然ではない。


世界よりも前に出る覚悟。


それは危うい。


だが――嫌いではない。


「……良い」


ぽつりと零す。


翡翠は、必要とされることを望まない。


だが。


誰かが誰かを本気で守ろうとする姿は、否定しない。


むしろ、好ましい。


藤紫が直を認めた瞬間。


空気が変わった。


翡翠は感じ取る。


観測者が、自らの隣を定めた。


それは大きい。


孤独が、ほんのわずかに緩む。


「独りで背負うよりは……」


その方が、よい。


翡翠は自分に言い聞かせるように呟く。


自分は幸せを望まぬ。


ただ穏やかに保てればよい。


誰かの隣に立つことを、自分は選ばなかった。


選ばれることを、受け入れただけ。


けれど、あの少年は違う。


選んでおる。


自ら。


それは、強い。


少しだけ。


本当に少しだけ。


胸の奥に、羨望にも似た感情が生まれる。


すぐに整える。


「……儂は儂の務めを果たそう」


草が静まる。


風が穏やかに落ちる。


干渉はここまで。


試す必要はない。


あの少年は、揺らがぬ。


そしてあの観測者も、完全には凍っていない。


まだ、温度がある。


翡翠は踵を返す。


小さな背。


けれど、地脈がその歩みに合わせて呼吸する。


「守られる側に見える、か」


くすりと笑う。


「それもまた、都合がよい」


祈りは声高ではない。


ただ在るだけでよい。


遠くで、芽吹いた若葉がひときわ強く光る。


それは祝福ではない。


介入でもない。


ただ――


静かな見守り。


―――――――――――――――――――


風が、やわらかく湿りを帯びる。


空気が均される。


「翡翠、また少し削ったでしょう」


爽やかな声だった。


責めるというより、確認。


翡翠は振り返らず、くすりと笑う。


「若い者は目ざといのう」


水気が集まり、人の輪郭をとる。


エメラルドグリーンの髪が揺れ、サファイアブルーの瞳が穏やかに細められる。


真空だ。


「若く見えるのはあなたでしょう」


さらりと返す。


翡翠は肩をすくめる。


「見た目の話はよしてくれぬか。儂はもう十分に年寄りじゃ」


「そう言いながら、芽を出すのは相変わらず早い」


足元の若葉を見て、真空が軽く笑う。


空はすでに安定している。


歪みの後処理はほぼ完了。


仕事は正確だ。


「……あの少年をどう思う?」


真空が空を見たまま問う。


翡翠は少し間を置く。


「良い目をしておる」


「主観ですね」


「うむ」


否定しない。


真空は小さく息を吐く。


「理屈で言えば、危ういですよ」


爽やかな口調のまま、内容は冷静。


「観測者は削れる。あの少年も削れる。二人同時に消耗すれば、持久率は落ちます」


「計算好きは相変わらずじゃな」


「数字は裏切らないので」


軽く肩を竦める。


だがその瞳は柔らかい。


「でも」


真空が続ける。


「独りで耐えるよりは、分散した方が崩壊確率は下がる」


翡翠が目を細める。


「ほう」


「感情も天候も、荒れたら整えればいい」


さらりと言う。


自分の役割を、当然のように。


翡翠は小さく笑った。


「晴れすぎると落ち着かぬ者が、よう言う」


真空が一瞬だけ視線を逸らす。


「……それは体質です」


「雨の日は龍神のそばにおるくせに」


「無意識です」


即答。


その素直さが、翡翠は嫌いではない。


風が軽く吹く。


遠くで虹がかすかに滲む。


真空の視線が一瞬止まる。


翡翠は見逃さない。


「ほれ、立ち止まっておる」


「仕事中ですが?」


「いつものことじゃ」


真空は苦笑する。


「……あの少年、力を求めますよ」


話題を戻す。


「でしょうな」


「止めますか?」


翡翠は首を横に振る。


「止めぬ」


即答。


「選んだ道は、己で歩ませる」


真空は少しだけ空を見上げる。


「では僕は、荒れたら整える役を続けます」


「儂は芽を育てる」


役割は明確だ。


敵ではない。


保護者でもない。


見守る者。


「観測者が彼を隣と認めた」


真空が静かに言う。


「なら、僕らは試す立場から支える立場に一段移りますか」


「急くでない」


翡翠は柔らかく制す。


「芽は急に伸ばせば折れる」


真空は頷く。


「了解。では当面は“天候安定”で」


爽やかに笑う。


翡翠も穏やかに応じる。


「頼りにしておるよ、空の青年」


「あなたも無理はしないでください、緑の長老」


軽い掛け合い。


だがその奥に、確かな連帯がある。


風は穏やかに流れる。


二人は干渉しすぎない。


ただ整え、育てる。


遠くで、直が藤紫の隣に立っている。


真空が小さく呟く。


「……案外、晴れ間は長く続くかもしれませんね」


翡翠は目を細める。


「それはそれで、よい」


虹が、わずかに濃くなった。


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