(3)揺れる灯
陽向朝日は、よく笑う。
人懐こく、距離が近い。
藤紫が何か説明すれば、素直に頷き、
時折、まっすぐな敬意を向ける。
その視線は明るい。
信頼と憧れが混ざった色。
直は、その視線を見ている。
藤紫が説明を終えると、
朝日は少し身を乗り出した。
「さすがですね。やっぱり藤紫さんは違う」
その言葉に、藤紫はわずかに微笑む。
柔らかい、仕事用の笑み。
直の胸の奥が、ざわりとした。
理由は分かっている。
朝日は悪くない。
尊敬しているだけだ。
でも。
その視線が、長い。
直は一歩、藤紫の隣に寄った。
自然に。
会話の流れを壊さない距離で。
「姉さん、次の巡回は俺が同行する」
朝日は少し驚いた顔をする。
「え? あ、でも――」
「補佐だから」
穏やかな声。
しかし、視線は外さない。
朝日ではなく、藤紫を見る。
藤紫は気づいている。
直の肩が、ほんのわずかに強張っていること。
感情が薄れているはずの胸が、微かに熱を持つ。
嫉妬。
そう呼ぶほど激しくはない。
けれど。
直は、藤紫の髪にそっと触れた。
指先で、整えるように。
「乱れてる」
自然な仕草のふりをして。
藤紫は一瞬、言葉を失う。
こんなふうに触れてきたことは、なかった。
子どもの頃の延長ではない。
意識している。
それが分かる。
「……直」
少しだけ声が弱い。
直は気づいている。
藤紫が一瞬、揺れたことを。
「俺を見て」
小さく、しかしはっきりと言う。
朝日がいる前で。
独占ではない。
宣言でもない。
ただ、確認。
藤紫の視線が直に戻る。
その瞬間。
直の胸のざわつきが、少し収まる。
藤紫は理解する。
直は守りたいだけではない。
隣に立ちたいのだ。
誰よりも近い位置に。
世界よりも前に出るわけではない。
でも、後ろにも立たない。
その覚悟。
「直」
藤紫はほんの一瞬だけ、肩の力を抜いた。
観測者ではなく、姉の顔で。
「……ありがとう」
弱さが滲む。
直はその表情を見て、確信する。
まだ、消えていない。
だから、離れない。
遠くで、名も知らぬ気配が動く。
まだ姿は見えない。
けれど、いずれ藤紫の周囲に集う存在。
その未来を、直は知らない。
それでも思う。
誰が現れても。
俺が一番、近くにいる。
藤紫の髪から、そっと手を離す。
その指先には、確かな温度が残っていた。
―――――――――――――――――――
夜。
独りになってから、藤紫は無意識に自分の髪へ触れた。
整えられた場所。
直の指が触れたところ。
風のせいでも、偶然でもない。
意識して、触れた。
あれは、子どもの延長ではない。
守るための動きとも違う。
確認するような。
確かめるような。
――俺を見て。
静かな声が、まだ耳に残っている。
胸の奥が、わずかにざわつく。
これは何だろう。
不快ではない。
怖いわけでもない。
ただ、想定外だった。
直はいつも、まっすぐだ。
支える。
守る。
離れない。
それは理解している。
でも今日のあれは。
「近いわ」
思わず口にした言葉を思い出す。
本当に距離が近かったのは、身体ではなく。
視線だった。
逃げ場がなかった。
観測者としての冷静さを、わずかに揺らすほどに。
私は、揺れたのか。
その事実を、淡々と分析しようとする。
けれど。
答えを出す前に、胸の奥が先に温度を持つ。
まだ、消えていない。
直に触れられて、分かった。
自分の中に、まだ“姉”がいる。
世界を優先しながらも。
隣に立つ存在を、確かに意識している。
それが少しだけ、怖い。
もし直がさらに踏み込んできたら。
私は――
そこまで考えて、藤紫は目を閉じた。
思考を止める。
観測者は揺れない。
揺れてはいけない。
それでも。
髪に触れた指先の感覚は、なかなか消えなかった。




