(2)静かな覚悟の始まり
朝の光は、いつも通り差し込む。
藤紫はいつも通り立ち、
いつも通り指示を出す。
声は穏やかで、揺れない。
直はその横に立つ。
「それ、俺がやる」
自然な声だった。
藤紫は一瞬だけ視線を向ける。
「平気よ」
「知ってる」
間を置かずに返す。
平気かどうかの話じゃない。
直は書類を受け取り、さりげなく藤紫の手に触れた。
ほんの一瞬。
以前なら何も思わなかった距離。
けれど今は、その温度を確かめるように。
藤紫は気づいている。
触れられる回数が増えたことも、
隣に立つ時間が長くなったことも。
「直、今日は外の巡回をお願い」
「一緒に行く」
「……別行動でいいわ」
「俺は姉さんの補佐だから」
柔らかい言い方。
でも引かない。
藤紫は視線を逸らす。
その一瞬を、直は見逃さない。
逃がさない。
歩き出すとき、直は半歩前に出る。
風を受ける位置。
危険があれば最初に届く位置。
昔は守られる側だった。
今は違う。
藤紫が立ち止まると、
直も止まる。
藤紫が何かを考え込むと、
直は黙って隣にいる。
言葉を求めない。
ただ、離れない。
「直」
「なに?」
視線が合う。
直は逸らさない。
まっすぐ、静かに見つめる。
その瞳は揺れていない。
「……近いわ」
「そう?」
少しだけ笑う。
距離は、ほんのわずか。
けれど確実に、以前より近い。
藤紫が一歩下がる。
直も一歩詰める。
逃げ道を塞ぐわけではない。
ただ、空間を空けない。
「姉さん」
低く、落ち着いた声。
「俺は、離れないよ」
藤紫の胸の奥が、微かに揺れる。
感情が薄れているはずなのに。
その揺れが、確かにある。
直は知っている。
まだ消えていない。
だから触れる。
そっと、藤紫の手を取る。
握らない。
包むだけ。
「世界が優先でもいい」
声は穏やかだ。
「でも、俺も優先に入れて」
わがままではない。
宣言だ。
藤紫は、わずかに息を飲む。
距離を置こうとすればするほど、
直は隣に立つ。
感情が薄くなるなら、
自分が灯せばいいとでも言うように。
触れる回数が増える。
視線が逃げない。
離れない。
十六歳の覚悟は、まだ若い。
けれど、まっすぐだ。
藤紫は気づく。
自分が世界に選ばれたように。
直もまた、選んでいるのだと。
――私を。




