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『救済ではなく、継承の物語』― アストラル継承記 ―  作者: 龍の末裔
第16章|境界の手前
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(1)帰り道

(視点:直)


神殿の裏手にある倉は、昼でも少し暗い。


棚には結界札の束と、使い終えた符の回収箱。

直は黙ってそれを仕分けていた。


新しい札と、再封印が必要な札。

破損。

要報告。


単純な作業だ。


十五の頃から、時々手伝っている。


誰かに正式に任じられたわけじゃない。

ただ人手が足りず、頼まれただけだ。


「直、それ終わったらこっちも頼む」


年上の眷属が軽く声を投げる。


「分かった」


直は札を揃え、棚へ戻す。


重さで歪んだ紐を見て、ひとつだけ結び直す。


「……これ、まとめ方変えた方がいい」


何気なく言う。


「ん?」


「湿気、溜まる」


それだけ。


眷属は一瞬きょとんとして、

それから札の端を確かめた。


「ああ……確かに」


直はもう次の箱を開けている。


気づいたから言っただけだ。


評価されたいわけじゃない。

褒められたいわけでもない。


ただ、崩れそうなものは直す。


それだけだ。


神殿の奥から風が通る。


ここは落ち着く。


騒がしくない。

必要なことだけが動いている。


少し前までは、

自分はただ姉の後ろにいる側だった。


今は、違う。


誰かの補助として、

この場所の一部になっている。


十六まで、あと少し。


何かが変わる気はしない。


ただ――


頼まれることが、増えただけだ。


直は札の束を抱え、

静かに奥へと運んでいく。


自分がどこへ近づいているのか、

まだ知らないまま。


―――――――――――――――――――

(視点:赤月)


神殿の裏手を抜ける直の背中を、赤月は少し離れた位置から静かに見ていた。


声をかける必要はない。

干渉する必要もない。


彼はただ、頼まれた作業を淡々とこなし、次の行動に移るだけだ。

小さな動作も、手際も、以前と比べればずっと落ち着いている。


赤月は視線を落とすことなく、その一挙手一投足を心に留める。

今はまだ口出しする時ではない。

見守るだけで十分だ。


彼が気づかないまま、石畳の奥へ消えていく。

十六歳になる前の背中。

選択は、まだ彼の中に眠っている。


―――――――――――――――――――

(視点:藤紫)


夕暮れの光が、神殿の石畳を柔らかく染めていた。


藤紫は、いつもの場所で直を待つ。

直は倉で雑務を終え、ほこりまみれの手を軽く拭きながら出てくる。


「……お疲れさま」


藤紫は小さく微笑み、直に手を差し出す。

直は一瞬ためらったが、自然にその手を取った。


背が少し伸びた直の手は、子どもの頃よりしっかりとしている。

それでも、まだ藤紫の手のぬくもりを感じられる大きさだった。


二人は、石畳をゆっくり歩き出す。

藤紫は無言のまま、手を握ったまま歩く。

直も、黙ってその手を握り返す。


「……大きくなったね」


藤紫の声は、ほんの小さな独り言。

直は少しだけ顔を上げて、照れくさそうに笑った。


荷物を持つ藤紫の手を取り、直はさりげなく肩代わりする。

歩きながら、藤紫の髪にそっと手を伸ばす。

昔のように撫でるのではなく、確かめるように、柔らかく触れる。


「……?」


藤紫は驚いた顔をした。

でも、すぐににっこりと笑い返す。

それだけで、直の胸は温かくなる。


十六歳になる前の直。

けれど、彼の胸にはもう、姉を大事に思う気持ちが根付いていた。

小さな日常のひととき。

それでも、二人にとっては、かけがえのない時間だった。




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