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(1)「いただきます」

声が重なって、龍神殿の広間に広がった。

木の卓を囲む子供たちは、それぞれの調子で手を伸ばし、椀を引き寄せる。箸が転がる音、器が触れ合う音、笑い声。静謐という言葉からは一番遠い、けれど確かに穏やかな時間だった。


直は、自分の前の膳を見下ろしていた。

もう、全部を手伝ってもらう必要はない。匙も箸も、自分のものだ。こぼすことは減ったし、食べるのも早くなった。


隣では、藤紫が同じように手を合わせている。

その仕草はいつもと変わらない。小さな手、落ち着いた動き。箸を持つ指も、椀を支える手も、前に見たときと同じだった。


――あれ?


直は、ほんの一瞬だけ考える。

自分の腕は、いつの間にか膳の端に届くようになっていた。椀を持ち上げるとき、少しだけ力がいらなくなっている。昨日より、少し。前より、確かに。


藤紫の手は、変わらない。


「直、こぼれるよ」


藤紫が静かに言う。

直は慌てて椀を戻し、むぐ、と口に運んだ。温かい。出汁の匂いが鼻に抜ける。


「だいじょうぶ。じぶんでできる」


そう言うと、藤紫は小さく頷いただけだった。

褒めもしないし、止めもしない。ただ、そこにいる。


周囲では、別の子が笑っている。誰かがご飯粒を落として、誰かが拾おうとして失敗している。紫苑が「はいはい」と言いながら布巾を取りに立つ。


直は、もう一度だけ藤紫を見る。

目線の高さは、同じ。けれど、並んでいるはずなのに、どこか違う気がした。


気のせい、かもしれない。

でも、その「気のせい」は、少し前から胸の奥に引っかかっている。


食事が終わると、今度は昼寝の時間だ。

まだ眠くない、と言い張る子もいるし、もう目を擦っている子もいる。


「直も、横になろうか」


紫苑の声は柔らかい。

直は一瞬ためらってから、頷いた。眠くない気がする。でも、言われると、逆らう理由も見つからなかった。


敷かれた布の上に横になる。

天井の梁が見える。風が通って、布が少し揺れる。


隣では、藤紫がもう目を閉じていた。

寝息は立てない。ただ、静かにそこにいる。


直は、自分の手を見た。

少し大きくなった気がする手。藤紫の手と、比べてしまう。


そのときだった。


視線を感じて、直は顔を上げる。

紫苑が、こちらを見ていた。


ほんの一瞬。

驚きも、問いもない、穏やかな眼差し。


直が見ているものを、もう知っている――

そんなふうに見えた。


紫苑はすぐに視線を外し、別の子の布を整えに向かった。

何も言わない。けれど、その背中は迷いなく、落ち着いている。


直は、もう一度横になった。

藤紫の寝顔が、変わらずそこにある。


胸の奥の引っかかりは、消えない。

でも、不安ではなかった。


この場所では、誰かがちゃんと見ている。

言葉にならないことも、変わっていくことも。


直は、目を閉じた。


のんびり穏やかな龍神殿で、

今日も昼の時間が、静かに流れていった。


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