(5)言葉にならないまま
(主視点:藤紫/一部 直)
藤紫は、何度か口を開きかけて、やめた。
「直――」
呼びかけて、名前の先が続かない。
何を言えばいいのか、わからなかった。
背が伸びたこと。
歩き方が変わったこと。
石段を降りるとき、自然と手すりに指をかけるようになったこと。
全部、気づいている。
気づいているからこそ、言葉に出来ない。
言ってしまえば、区切ってしまう気がした。
「前」と「今」を、線で分けてしまう気がした。
藤紫は、何も言わずに歩幅を緩める。
直が合わせてくるのを、待つ。
それだけで、胸の奥が少し苦しくなる。
夜、布団を敷く。
いつもの二枚。
並べる距離も、向きも、変えていない。
直は先に潜り込んで、天井を見ている。
藤紫は、灯りを落とす手を止めたまま、少しだけ考える。
――このままで、いいのだろうか。
答えは出ない。
だから、口にしない。
「おやすみ」
短い言葉だけを残して、灯りを消す。
―――――――――――――――――――
直は、薄闇の中で目を閉じかけて、ふと気づいた。
誰かに、見られている。
視線の先を追うと、回廊の向こうに紫苑が立っている。
いつもの場所。
いつもの距離。
直と、藤紫の両方を、同じように見ている。
理由はわからない。
意味も、まだ掴めない。
それでも直は、なぜか安心した。
目を閉じる。
布団の温もりは、変わらない。
問いは、胸の奥に沈めたまま。
答えは、まだ要らない。
今はただ、
同じ夜を、同じ場所で迎えられていることが、すべてだった。




