(4)変わらない距離 2
距離は、縮まらなかった。
物理的には、変わらない。
指を伸ばせば触れる場所に、常に互いはいる。
呼吸の温度も、体温も、同じ空気の中にある。
それでも――
交わらない。
それは拒絶ではない。
避けているわけでも、恐れているわけでもない。
ただ、越えない。
ルシアンは、静かにその距離を保っていた。
猫は相変わらず、彼の上にいるのか、
それとも彼が猫の下にいるのか、
どちらともつかない位置で、重さを預けていた。
逃げる気はない。
離れる気もない。
ただ、動かない。
「……」
声にしようとして、やめる。
名前を呼ぶ理由が、見つからなかったからだ。
名前を呼べば、
距離が定義されてしまう。
近い、遠い。
こちら側、向こう側。
今はまだ、
そのどちらにもしたくなかった。
猫は目を閉じている。
眠っているのか、起きているのか、分からない。
猫は、わずかに身体を伸ばした。
伸びをする、というより、
重さのかかる方向を探るような動きだった。
背中が押される。 胸の下に、ゆっくりと圧がかかる。
このままでは、少し潰される。
けれど、逃げない。
爪を立てることも、 鳴いて知らせることも、しない。
フェリスは、首をわずかに傾け、 自分の重さを、より深く預け直す。
――大丈夫だ。
潰されるほどではない。 押し返すほどでもない。
この圧は、 拒絶ではなく、 無意識の重なりだと、知っている。
ルシアンの呼吸が、一定のリズムを刻む。 眠りに落ちかけている証拠。
フェリスは、その鼓動に合わせるように、 身体をさらに伸ばした。
近づくためではない。 離れないための、調整。
名を呼ばれなくても、 触れられなくても、
この距離は、まだ崩れていない。
だから、動かない。
潰されそうで、 それでも、ここが一番安全だと知っている。
フェリスは、目を閉じたまま、 その重さの中に、静かに身を沈めた。
――分からない、という状態が、
この距離を保っている。
気づいていないわけじゃない。
重さがあることも、
その重さが、ただの体重ではないことも。
それでも、確かめない。
確かめてしまえば、
何かを選ばなければならなくなる。
星が落ちるように、
天秤が役目を失うように、
一度傾いたものは、元には戻らない。
だから、今は。
この距離のままでいい。
遠くで、何かが軋む気配がした。
世界のどこかで、均衡が崩れている音。
だが、ここには届かない。
届かせない。
ルシアンは、視線を落としたまま、
ただ呼吸を続けた。
近くて、
触れていて、
それでも交わらない距離。
それは弱さではなく、
選択だった。
変えないという、選択。
この距離がある限り、
失われないものが、確かにある。
だから――
今日も、動かない。
猫の重さを受け止めたまま、
ルシアンは、何も言わずにそこにいた
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