星の閑話VIII|交わらない距離
(ルシアン視点)
夜は、静かだった。
窓を開けているのに、風はほとんど入ってこない。
街の音も遠く、世界は必要な分だけ息をしている。
ルシアンはベッドに横になり、胸の上の重みを確かめる。
黒い毛の塊が、当たり前のようにそこにいる。
フェリスは、今日も近い。
近すぎるくらいだ。
顔を動かせば、ひげが頬に触れる。
呼吸が合ってしまう距離。
離れようと思えば離れられるのに、
そうしないことを、もう選んでいる。
「……重い?」
問いかけても、返事はない。
代わりに、喉が小さく鳴った。
それで十分だった。
最近、星を見上げる回数が増えた。
占いのためじゃない。
理由もない。
ただ、見上げたくなる夜がある。
けれど今日は、空を見ない。
窓の外より、胸の上の温度のほうが確かだった。
フェリスは、出ていくことがある。
音もなく、気配も残さず。
気づけば重みが消えていて、
戻る頃には、何事もなかったように元の場所にいる。
不思議だと思わないわけじゃない。
でも、考えすぎない。
猫はそういうものだ、と
自分に言い聞かせる必要すらない。
近いのに、踏み込めない場所がある。
それを“距離”だとは思っていなかった。
名前も、首輪も、約束もない。
それでも、この重みはここにある。
失くす気がしない。
離れる気もしない。
「……大丈夫だよな」
誰に向けた言葉かも分からないまま、呟く。
フェリスは、答えない。
ただ、眠りの中で少しだけ身じろぎをした。
それだけで、安心してしまう自分がいる。
遠くで、何かが見ている気がした。
けれど、振り向かない。
近くにあるものを、
今は離したくなかった。
この距離は、交わらない。
触れているのに、届かない。
けれど――
壊れてはいない。
それだけで、今夜は十分だった。
ルシアンは目を閉じる。
胸の上の重みを、世界の中心にして。




