(5) 初めての夜の静けさと温もり
マンションの扉を開けると、
室内は想像以上に静かだった。
「……ただいま」
返事は、ない。
分かっていたことなのに、
言葉が空間に吸い込まれる感じがして、少しだけ胸がきゅっとする。
両親と暮らしていた頃は、
誰かの気配が常にあった。
物音、気配、魔力の揺らぎ。
それが“当たり前”だったのだと、今さら気づく。
靴を脱ぎ、灯りをつける。
家具は最低限。
生活感は、まだ薄い。
腕の中の黒猫が、もぞりと動いた。
その拍子に、ルシアンの意識が現実に戻る。
(ほっとけなくて連れてきてしまった)
「……降りる?」
聞きながら、床に下ろす。
猫は一度だけこちらを見上げ、
次の瞬間には部屋の中央に座り込んだ。
逃げない。
様子をうかがうこともしない。
(……普通、逆じゃない?)
一人暮らしの初日。
知らない場所。
それなのに、この猫はまるで――
「ここ、知ってるみたいだな」
独り言に、返事はない。
けれど、黒猫は尾を揺らし、
部屋を一周したあと、ルシアンの足元に戻ってくる。
距離、ゼロ。
無意識に、しゃがみこむ。
背中を撫でると、指の下で体温が動いた。
瞳が、ちらりとこちらを向く。
カッパー色。
灯りを受けて、柔らかく鈍い光を帯びている。
「……綺麗だな」
ぽつりと零す。
誰に聞かせるでもない声だった。
その瞬間、猫が前足を伸ばし、
ルシアンの服の裾を軽く引いた。
「え」
引き止める、というより――
“そこにいろ”と言われた気がした。
胸の奥にあった、静かな空洞が、
少しだけ埋まる。
「……寂しいって、思っていいのかな」
呟きは、小さかった。
強がる必要はない。
ここには、もう誰もいないのだから。
――いや。
足元を見る。
黒猫が、丸くなっている。
「……そっか」
言葉にした瞬間、
肩の力が抜けた。
一人暮らしは、確かに静かだ。
でも、独りではない。
猫は何も言わない。
ただ、そこに居る。
それだけで、
夜を越える理由としては十分だった。
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