(2) ――受け取ったままのもの
ルミナスは、
見てしまった。
そして、
受け取ったまま、立ち尽くした。
か
そこにあったのは、異変ではなかった。
騒ぎもなく、悲鳴もなく、
世界はいつも通りに回っていた。
青藍が扉を開け、
リエルの部屋に入る。
その動きに、迷いはない。
慣れ切った所作。
考える前に、身体が動いている。
カーテンを開け、
光を入れ、
声をかける。
返事がないことを確かめるためではない。
それが、青藍にとっての日常だからだ。
衣を整え、
髪を結い、
装飾を施す。
すべてが静かで、丁寧で、
どこにも破綻がない。
――ああ、と思う。
これは「続いている」。
誰かが壊れたからではない。
誰かが去ったからでもない。
日常が、形を変えただけだ。
青藍は、リエルを抱き上げる。
自然な動きだった。
抱き慣れていることが、はっきりと分かる。
軽い、という感想すら、
青藍は口にしない。
比べる必要がないからだ。
過去と今を並べる理由が、彼にはない。
――その差を、知っているのは青藍だけだ。
抱き上げた回数も、
支えてきた時間も、
軽くなっていく過程も。
比較する必要がないほど、
彼はそれを日常として受け止めてきた。
かつて、
世界を歪めるほどだった存在。
空を覆い、
煉獄の均衡すら左右していた龍。
それが今、
青藍の腕の中に、すっぽりと収まっている。
青藍は立ち止まり、
振り返らずに言った。
「いってきます」
誰に向けた言葉なのか、分からなかった。
リエルか。
自分か。
それとも、
もう返事をしない世界そのものか。
その瞬間、
胸の奥で、何かが落ちた。
恐怖ではない。
怒りでもない。
言葉にする前に、感覚だけが崩れた。
理由は、まだない。
意味づけも、できない。
ただ、
自分が知らないうちに、
受け取っていたものがあった、
という事実だけが残った。
止めるべきだったのか。
止められたのか。
その問いは、まだ形にならない。
彼女は、
自分が見ていない場所で、
自分が気づかない速度で、
すべてを整え終えていた。
拒めなかった。
それ以上に、
拒むという発想すら、
最初から持っていなかった。
受け取っていた。
ずっと。
失うという言葉を、必要としない世界にいた。
だから、
涙が落ちた。
声は出なかった。
誰にも見られなかった。
管理者としてではなく、
答えを持たないまま、
ただ立ち尽くす存在として。
青藍は、歩き続けている。
リエルを抱いたまま。
世界は、まだ保たれている。
だが、
それを支えていたものが、
もう“動いてはいない”ことを。
ルミナスだけが、
この時になってようやく、
受け取っていたものの重さを、感情として感じてしまった。




