(1)いってきます
――青藍視点
青藍の朝はいつも早い
青藍の朝は、いつも早い。
リエルの部屋のカーテンを開ける。
光が差し込み、部屋は昨日と同じ形を取り戻す。
「リエル様、おはようございます」
いつもと変わらない
青藍は、リエルの前に膝をつく。
声をかける理由はない。
返事がないことは、もう前提になっていた。
衣に袖を通し皺を整え、指先には装飾を施す。
その動作は、長い時間をかけて身体に染み込んだものだ。
考えなくても、手が動く。
リエルの柔らかな少し癖のある髪を結いあげる
―――――――――――――――――――
「……今日は、静かですね」
独り言にすら、期待は込めない。
ただ、音としてそこに置いただけだ。
リエルは椅子に座ったまま、視線を動かさない。
いや――
動かせないのではなく、動かす必要がないのだと、青藍は知っている。
かつて空を覆っていた龍鱗は、もうない。
空を駆けていた巨躯も、今はここにはない。
それでも、青藍の目には、彼女が“欠けている”ようには映らなかった。
最初から、削るつもりだった人だ。
失うことを、選び続けてきた存在だ。
だから今も、
ここに「残っている」こと自体が、
彼女の選択の延長なのだろう。
青藍は、リエルの傍に立ち、そっと腕を差し入れる。
軽い。
驚くほど、軽い。
かつて世界を歪めるほどの存在だった重みは、
もう、どこにもない。
それでも――
この動作をやめる理由はなかった。
青藍は、リエルを抱き上げる。
慣れた動きで、躊躇なく。
それがいつもの日常だからだ。
扉の前で、一瞬だけ立ち止まる。
振り返る理由はない。
誰かが見送っているわけでもない。
それでも、口が動いた。
「いってきます」
―――――――――――――――――――
ただ―
今日も世界は、かろうじて保たれている。
青藍は、静かに歩き出す。
リエルを抱いたまま。
何も変わらない足取りで。
廊下の向こうで、
世界は今日も、ぎりぎりの均衡を保っている。
それを支えていたものが、
もう“そこにはいない”ことに気づかないまま。




