(5)裂け目
■第56章|実証
(5)裂け目
(視点:少女)
時間が、止まった。
術式は確かに成功した。
由良の身体を巡る金色の光は穏やかに流れ、金の炎も静かに揺れている。
それなのに。
世界だけが、不自然なほど静まり返っていた。
「……。」
少女は思わず息を止める。
風がない。
炎も揺れない。
部屋に満ちていた魔力の流れまでもが、何かを待つように停止している。
「これは……。」
ベラトリスの声が僅かに強張る。
長い時を生きてきた彼女でさえ、この感覚には覚えがあった。
忘れようとしても、忘れられない静寂。
由良はゆっくりと視線を上げた。
「来る。」
短いその一言と同時に。
――ぱきり。
静かな音が響く。
術式陣の中央。
金色の光の上に、一本の黒い亀裂が走った。
まるで空間そのものに傷が入ったかのように。
亀裂はゆっくりと広がっていく。
光を飲み込みながら。
音もなく。
少女は目を見開いた。
「空間が……。」
理解できない。
術式にこんな現象は存在しない。
理永の資料にも。
ベラトリスの記録にも。
一度も書かれていなかった。
「下がれ。」
低い声だった。
気付けば由良が少女の前へ立っている。
黒い外套が静かに揺れ、その背中が少女の視界を半分ほど覆った。
「由良さん……。」
少女が呼びかけても、由良は振り返らない。
その視線は、裂け目だけを見据えていた。
ベラトリスも一歩前へ出る。
その表情からは、いつもの穏やかさが消えている。
「まさか……。」
誰にも聞こえないほど小さな声が漏れた。
黒い裂け目の奥。
そこには光も闇もなかった。
ただ、底知れない静寂だけが広がっている。
やがて、その奥から。
規則正しい足音が、一つ。
……コツ。
静まり返った研究室に、小さく響く。
もう一歩。
……コツ。
誰も動けない。
由良だけが、静かに拳を握り締める。
聞き覚えのある足音だった。
千年以上前。
幾度となく対峙した存在。
忘れることなど、一度もなかった。
黒い裂け目の向こうで、一つの人影がゆっくりと輪郭を帯び始める。
その姿が現れようとした瞬間。
研究室の空気は、さらに重く沈み込んだ。
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