(1)星が重さを持った夜
最初に異変が観測されたのは、猫座だった。
それは破壊ではなかった。
消失とも、死とも呼べない。
ただ――
星座として、成立しなくなった。
星図の上で、線が引けない。
意味が結べない。
名を与えることができない。
猫座を構成していた星々は、確かにそこにあったはずなのに、
“座”としてのまとまりだけが、静かにほどけていた。
天界に、ざわめきが走る。
星は概念だ。
位置であり、役割であり、循環の一部だ。
一つが終われば、必ず循環へ還る。
それが、この世界の法則だった。
だが猫座は、還らなかった。
循環の輪に吸い込まれることもなく、
かといって破砕されることもなく、
ただ「座」だけを失った。
残ったのは、ひとつ。
赤橙の光。
熱を思わせる色を宿した、小さな星。
それはもはや星と呼ぶには不安定で、
概念と呼ぶには、あまりにも曖昧だった。
余剰。
観測不能な残滓。
世界の法則から、はみ出した存在。
天界は、それを記録しきれなかった。
――幕間:フェリス
柔らかい毛並み。
温度のある体。
呼吸と、鼓動。
それらは、かつて知らなかった感覚だ。
それでもフェリスは、覚えている。
高く、冷たい場所にいたこと。
夜空の一部として、誰かに名を呼ばれていたこと。
けれど今は、
少年の膝の上が、世界の中心だった。
撫でられるたびに、思考はほどける。
名前を呼ばれるたびに、存在が定まる。
星だった頃の記憶は、夢のように遠い。
ただ、時折――
胸の奥で、微かに“落下”の予感が疼く。
それが何なのか、フェリスには分からない。
分からないまま、喉を鳴らす。
今は、ここが居場所だと知っているから。
猫座の異変は、天界に小さな歪みを残した。
だがそれは、致命傷ではなかった。
記録上は「例外」として処理できる程度の、
微細な狂い。
もし、そこで止まっていれば。
世界は、まだ修復可能だった。
だが――
次に揺らいだのは、双子座だった。
二つで一つ。
分かたれながら、決して離れない星。
カストルとポルックス。
その均衡に、重さが生じた。
最初に観測されたのは、位置のズレ。
次に、光量の変化。
そして、決定的な異常。
落ちる可能性。
星は、落ちない。
それは空間上の概念であり、
質量を持たない存在だからだ。
だがポルックスは、確かに沈み始めていた。
天界が凍りつく。
これは例外ではない。
逸脱でも、事故でもない。
法則そのものが、書き換わり始めている。
星が、概念であることをやめようとしている。
その夜、誰もまだ気づいていなかった。
猫座の残した赤橙の光が、
この異変の“最初の証人”だったことを。
そしてその光が、
やがて煉獄へ落ちる星を拾い上げ、
一人の少年の元へと連れて行く運命にあることを。
――星が、重さを持った夜が、始まった。




