(1)煉獄に立つ者
(ルミナス視点)
ここには、空がない。
それでも、見上げてしまう癖だけが残っている。
煉獄。
名を与えられた場所。
けれど、私にとっては、名前よりも重さの方が確かだった。
落ちてくる。
ひとつ、またひとつ。
魂が、意味を失ったまま、ここへ。
悲鳴はない。
痛みも、もうない。
それなのに、近づくたび、胸の奥が微かに軋む。
私は、受け止める。
選ばない。
拒まない。
それが、ここに立つ理由だから。
「……無理、してないか」
背後から、低く抑えた声。
振り返らなくても、分かる。
ネビュラだ。
煉獄の闇に溶ける影。
鋭さを内に隠した気配。
私を見る視線だけは、常に逸らさない。
「平気」
そう答えると、嘘になる。
けれど、本当とも言い切れない。
ネビュラは、一歩だけ距離を詰める。
触れない。
だが、退路を塞ぐような立ち位置だった。
「最近、多いな」
短い言葉に、私は頷く。
魂の数だけじゃない。
質が、変わってきている。
恐怖よりも、諦めが濃い。
未練ではなく、放棄。
自分を手放したまま、落ちてくる。
それは、煉獄を濁す。
「地上が、歪んでる」
私がそう告げると、
ネビュラの表情が、わずかに険しくなった。
彼も、感じている。
煉獄の奥――
封じられているはずの、気配を。
魂とは違う。
魔物とも違う。
名を呼べば、境界が揺らぐ存在。
私は、視線を伏せる。
まだ、見てはいけない。
まだ、触れてはいけない。
「ルミナス」
呼ばれた声に、微かな焦りが滲んでいた。
顔を上げると、
ネビュラは、真っ直ぐこちらを見ている。
心配を隠そうとしない目。
それが、少しだけ、胸に残る。
「大丈夫だ」
今度は、言い切った。
壊れるわけにはいかない。
ここで、私が崩れたら、
煉獄は、ただの落下先になる。
私は、立ち続ける。
誰かが、這い上がろうとする限り。
誰かが、まだ地上を目指す限り。
煉獄に、足を取られながらも。
――その時だった。
煉獄の底が、僅かに軋んだ。
落ちてくる魂とは違う。
魔物が湧く前兆とも、違う。
「……来る」
呟いた私より先に、
ネビュラが反応した。
彼の気配が、鋭く研ぎ澄まされる。
翼があるなら、きっと半ばまで開いている、そんな緊張。
「上から、か?」
「違う」
私は、煉獄の縦ではなく、横を見る。
這い上がってくるもの。
落ちるのではなく、抗う存在。
魂ではない。
魔物でもない。
だが、生きているとも言えない。
煉獄の地面を引きずるように、
“意志”だけで近づいてくる気配。
――カストル。
名を呼ばずとも、分かった。
彼は、嫌な方向に“真っ直ぐ”だ。
恐怖でも、絶望でもない。
ただ、地上を目指すという執念。
「……あれは」
ネビュラが低く唸る。
彼にとって、
封印されたアストラルの気配の方が、
まだ“理解できる嫌悪”なのだろう。
だが、これは違う。
削れても、壊れても、
なお進むもの。
煉獄は、試練の場ではない。
救済のための場所でもない。
それでも、彼は来た。
「行かせる気か」
ネビュラの声に、問いの色が混じる。
私は、しばらく黙っていた。
止める理由は、ある。
だが、止める権限は――
ここには、ない。
「……見ているだけだ」
それが、今の答えだった。
煉獄の底で、
魂は落ち、
魔物は湧き、
封印は眠り続ける。
そして、
ひとりの存在が、地上を目指している。
それを、私は感じ取った。
ここに立つ者として。
受け止める者として。




