閑話Ⅵ|静かすぎる子
藤紫は、泣かない子だった。
――少なくとも、周囲の大人たちには、そう見えていた。
声を荒げることもない。
駄々をこねることもない。
叱られても、首をすくめて黙り込むだけで、反論はしなかった。
「手のかからない、いい子ね」
「静かで助かるわ」
そう言われるたび、藤紫は小さく頷いた。
それが、正解だと知っていたからだ。
龍神殿では、子供たちは等しく守られていた。
食事も、寝床も、学ぶ場も与えられている。
誰かが殴られることも、捨てられることもない。
だから――
泣く理由が、分からなかった。
他の子供たちは、よく泣いた。
転んで泣き、叱られて泣き、寂しくて泣く。
泣いたあと、誰かに抱き上げられて、声をかけられて、安心した顔をする。
藤紫は、その様子を少し離れた場所から見ていた。
「どうして、泣くの?」
問いは、胸の奥に留められたまま、口には出なかった。
泣くことで、何かが軽くなるのなら。
泣くことで、誰かが助けてくれるのなら。
――母は、泣いていた。
あの夜、崩れ落ちそうになりながら、声を殺して泣いていた。
それでも、世界は止まらなかった。
何も、救われなかった。
だから藤紫は知っている。
泣くことは、答えではない。
「藤紫ちゃんは、ほんとに静かね」
そう言われるたびに、藤紫は否定しなかった。
肯定もしなかった。
ただ、見ていた。
誰が何を言い、誰が何を隠し、
誰が夜になると声を失うのか。
大人たちは、子供の前で笑おうとする。
不安を見せまいとする。
それが、守ることだと信じている。
けれど藤紫には、分かってしまう。
声の裏にある沈黙を。
言葉にならない重さを。
「静かすぎる子」
その言葉は、評価でも、非難でもなかった。
ただの事実として、彼女に貼り付けられた。
藤紫は、それを受け入れた。
静かでいることは、
見続けることができる、ということだから。
泣かない。叫ばない。踏み込まない。
ただ、世界がどう壊れていくのかを、見失わないために。
その瞳の奥で、
誰にも気づかれないまま、記録は続いていた。
――それが、
「見てしまった子」が選んだ、生き方だった。




