(2)一億という呪い
厄災と天災は、同時に起きたわけではない。
それでも、人々はそう呼んだ。
理由が分からないものを、まとめて“災い”とするために。
旱魃、疫、地脈の乱れ、星層の歪み。
どれも単独なら、対処の余地はあった。
だが、恐怖は理屈よりも早く広がる。
「捧げれば、止まる」
「誰かが代わりになれば、救われる」
そんな言葉が、祈りの形をして流通し始めた。
選ばれたのは、弱い者だった。
声を持たない者、拒めない者、
いなくなっても世界が回ると信じられている存在。
人柱。
生贄。
それは信仰ではなく、責任の放棄
止められないことを理解しながら、紫苑は手を伸ばした。
それでも、すべてを止めることはできなかった。
捧げられた命の数は、
災厄の数よりも早く増えていった。
救われなかった理由を、
誰もが「仕方がなかった」と言える形で整理するために。
数字は、積み上がっていった。
一人。
十人。
百人。
千人。
やがて――
一億。
その数に到達したとき、紫苑は止めた。
これ以上、数えてはならないと、本能が告げた。
これ以上は、世界の死ではなく、自分の死になると。
「一億で、止めた」
そう決めた瞬間
紫苑の中で、何かが確かに壊れた。
それでも、世界は止まらない。
数えないだけで、
死者は、増え続ける。
一億と一。
一億と百。
一億と、名も持たない無数。
紫苑は、見ない。
見ないことで、均衡を保とうとする。
だが、見ないことは、救いにはならなかった。
胸の奥で、
腹の底で、
数にならなかった死が重く沈んでいく。
涙があふれる。
声を上げることは、できなかった。
世界を掬い上げるの役目を引き受けた者として、
崩れ落ちることは許されなかった。
それでも、涙は止まらなかった。
「止められなかった」
「救えなかった」
「それでも、世界は記録されている」
その事実だけが、
紫苑の存在を削り続ける。
藤紫は、近くにいた。
声をかけることは、しない。
抱き寄せることも、できない。
ただ、見ている。
母が壊れていく様を。
世界が選択を誤り続ける様を。
藤紫は、まだ知らない。
自分が“観測者”である理由を。
けれどこの夜、
彼女の中で何かが静かに目を開けていた。
泣かない。
叫ばない。
ただ、記録する。
それが、
世界が最後まで観測され続けるために
必要な役割だと――
誰に教えられるでもなく、理解してしまったから。
紫苑は、世界の死を引き受ける。
藤紫は、その姿を、見てしまった子だった。




