(10)焦燥と嫉妬
老魔女が亡くなってから、
小屋の空気は少し変わった。
理永は以前よりも長く机に向かうようになった。
本を開き、
魔法式を書き、
時々ぼんやりと窓の外を見る。
言葉は少ない。
悲しみを大きく表に出すわけではないが、
静かに沈んでいるのが分かった。
ベラトリスは、そんな理永を横目で見ながら肩をすくめる。
「また研究?」
理永は小さく頷く。
「……うん」
それ以上は言わない。
ベラトリスは溜息をついた。
「少し休みなさいよ」
そう言いながら、机の上の本を軽く叩く。
「そんな顔で式を見たって、ろくな結果出ないわよ」
理永は少し困ったように笑った。
「……そうかも」
その様子は、いつも通りだった。
昔から変わらない。
研究ばかりで、
少し世間知らずで、
放っておくと本の山に埋もれてしまう。
だから――
今までは自分が引っ張ってきた。
「ほら、外の空気でも吸ってきなさい」
「……あと少し」
「またそれ」
ベラトリスは呆れたように笑った。
その時だった。
背後から、静かな声がした。
「無理はしない方がいい」
振り返ると、由良が立っていた。
いつの間に来たのか、
扉の近くに寄りかかるように立っている。
「……あら」
ベラトリスは眉を上げる。
「聞いてたの?」
「少し」
由良は穏やかに答えた。
理永は顔を上げる。
「由良」
由良は机の方へ歩いていく。
理永の横に立つと、
机の上の紙をちらりと見た。
「今日はここまでにした方がいい」
理永は少し黙った。
「……もう少しだけ」
その声は弱かった。
由良は何も言わない。
ただ、理永の肩にそっと手を置いた。
「休みましょう」
短い言葉。
それだけだった。
理永は少しだけ目を伏せる。
それから、ゆっくりと頷いた。
「……うん」
ベラトリスはその様子を見ていた。
胸の奥で、何かが引っかかる。
――なんだろう。
別に、特別なことじゃない。
由良は優しい。
誰に対しても穏やかで、
気遣いができる人だ。
理永が落ち込んでいるのだから、
そうするのも自然だろう。
そう、思うのに。
由良はまだ理永のそばに立っていた。
何も言わない。
ただ、静かに
理永のそばに立っている。
理永もまた、
その沈黙を当たり前のように受け入れている。
ベラトリスはふと気づいた。
自分がそこに入る隙がないことに。
三人で同じ部屋にいるのに、
そこには、
いつの間にか二人だけの空気ができている。
理永と、由良。
その内側に自分はいない。
「……ふーん」
ベラトリスは腕を組んだ。
「相変わらず世話焼きね」
軽い口調で言う。
由良は少し笑った。
「そう見えますか」
「見えるわよ」
ベラトリスは肩をすくめる。
「理永は放っておくとずっと研究してるんだから」
理永は小さく苦笑した。
「……ごめん」
由良が言う。
「謝らなくていい」
「ただ、休む時間は必要です」
穏やかな声だった。
その声を聞いた瞬間、
胸の奥が少しだけざわついた。
――あれ?
ベラトリスは一瞬だけ言葉を失う。
それは、自分にも向けられてきた優しさ。
けれど。
どこか、少し違う。
何が違うのかは分からない。
ただ――
理永の方が、近い。
まるで、最初からそこにいるのが当然であるかのように。
その事実だけが、妙に気になった。
「……私、ちょっと外の空気吸ってくる」
ベラトリスは突然そう言った。
理永が顔を上げる。
「ベラ?」
「すぐ戻るわ」
そう言って、軽く手を振る。
何でもないような顔で。
そのまま小屋の扉を開けた。
外の空気は少し冷たかった。
ベラトリスは歩きながら、ふっと息を吐く。
胸の奥が落ち着かない。
――なんで?
理由が分からない。
理永は昔からああだし、
由良が優しいのも知っている。
何も変わっていない。
それなのに。
さっきの光景が、
頭から離れない。
理永の隣に立つ由良。
静かな声。
自然すぎる距離。
ベラトリスは立ち止まった。
そして小さく呟く。
「……なんで、あの子なんだろう」
その言葉は、
夜の空気の中に静かに消えた。
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