(9)恋の自覚
最近――
ベラトリスは、自分でも少しおかしいと思っていた。
あの時から続いている、あの違和感が。
由良のことを考える時間が、増えた。
森の小道を歩くとき。
街道の方から風が吹くとき。
扉を叩く音がしたとき。
――もしかして。
そんなことを、思う。
そして実際に、由良が現れる。
黒い外套。
静かな足取り。
相変わらず、穏やかな顔。
「あら。私に会いに来たの?」
ベラトリスが言うと、由良は小さく笑った。
「迷惑でしたか」
「まさか」
ベラトリスは肩をすくめる。
けれどその声は、少しだけ弾んでいた。
以前なら気にもしなかったことが、
今は妙に気になる。
彼がどこを旅してきたのか。
どんな街を見てきたのか。
誰と話してきたのか。
――知りたい。
――彼のことをもっと知りたい。
その気持ちに気づいた時。
ベラトリスは、ふっと息を吐いた。
「……ああ」
小さく呟く。
「そういうことね」
ようやく分かった。
胸の奥のざわつき。
理由の分からない苛立ち。
さっきの痛み。
全部。
――恋だ。
ベラトリスは思わず笑った。
「なんだ、そんなこと」
自分でも拍子抜けする。
恋なんて、別に珍しいものじゃない。
自分だって、何度も見てきた。
誰かが誰かに夢中になり、
少し馬鹿みたいな顔をする。
それだけの話だ。
けれど。
「……私が、ね」
小さく呟く。
それは少しだけ、意外だった。
ベラトリスは昔から人に好かれる方だった。
声をかけられることも多い。
誘われることもある。
けれど――
自分から誰かを好きになったことは、
ほとんどなかった。
だからだろう。
胸の奥に生まれたこの感情が、
どこか新鮮だった。
そして同時に。
――悪くない。
そう思った。
ベラトリスは基本的に、
自分に自信がある。
魔力も。
知識も。
見た目だって、悪くない。
だから。
「……そのうち、こっちを見るでしょ」
軽く呟く。
由良が自分を好きになるのも。
きっと。
そのくらいのことだと思っていた。
それからしばらくの間。
ベラトリスは、少しだけ積極的になった。
旅の話を聞く。
隣に座る。
冗談を言う。
時々、わざと距離を詰める。
由良は相変わらず優しい。
ちゃんと話すし、笑うし、
嫌な顔もしない。
けれど――
どこか、するりと逃げる。
距離は縮まらない。
手を伸ばせば届きそうなのに、
その一歩が、埋まらない。
ある日。
ベラトリスはふと聞いた。
「ねえ、由良」
「はい」
「あなたってさ」
少し笑って言う。
「好きな人とか、いるの?」
冗談みたいな口調だった。
由良は少しだけ考えた。
そして、曖昧に笑う。
「どうでしょう」
それだけだった。
肯定もしない。
否定もしない。
ただ、やんわりと流す。
ベラトリスは一瞬だけ黙った。
それから笑う。
「なにそれ」
「答えになってないじゃない」
「そうですね」
由良は困ったように笑った。
その反応も、いつも通りだった。
優しくて。
穏やかで。
そして――
掴みどころがない。
ベラトリスはその笑顔を見ながら、
胸の奥で何かが引っかかるのを感じた。
――なんで?
今までなら。
少し誘えば、
男の方が勝手に夢中になる。
それが普通だった。
けれど由良は違う。
近づいても。
冗談を言っても。
笑いかけても。
距離が変わらない。
そのことが、少しだけ――
面白くない。
ベラトリスは無意識に腕を組んだ。
「……ふーん」
小さく息を吐く。
胸の奥が、またざわつく。
恋を自覚した時の
あの柔らかい感情とは違う。
もっと尖ったもの。
少しだけ。
苛立ちに似ていた。




