(7)揺らぎ ― 前半
あの出会いから――
季節がいくつか巡った。
森の色はゆっくりと変わり、
草の匂いも、風の温度も、少しずつ違っていく。
街道へ出ることは、いつの間にか当たり前になっていた。
そして――
彼に会うことも。
黒い外套の男。
由良。
最初は街道だけだったが、
いつからか彼は、森の小屋にも顔を出すようになった。
「また来たの?」
ある日、扉を開けたベラトリスは笑った。
由良は小さく肩をすくめる。
「迷惑でしたか」
「まさか」
ベラトリスは首を振った。
「ただ、よく来るなって思っただけ」
由良は答えず、静かに小屋の中を見た。
その視線の先には――
机に向かう理永がいる。
本を広げ、何かを書き込んでいた。
「また研究?」
ベラトリスが聞く。
理永は顔も上げずに答える。
「ええ」
由良は少しだけ笑った。
「変わりませんね」
理永はようやく顔を上げる。
「変わる必要が?」
「いえ」
由良は首を振った。
「むしろ、その方が安心します」
ベラトリスはそのやり取りを聞きながら、軽く息をつく。
「ほんと、あなた達って研究の話ばっかり」
机の横に腰を下ろす。
「少しは普通の話もしなさいよ」
理永が首を傾げた。
「普通の話?」
「そう。例えば旅の話とか」
由良を見る。
「あなた、色んなところ行ってるんでしょ?」
由良は少し考えた。
「そうですね」
そして静かに言う。
「南の街には、夜でも灯りが消えない市場があります」
ベラトリスの目が輝く。
「夜の市場?」
「ええ。香辛料や布、珍しい品が並ぶそうです」
「そういうの好き!」
ベラトリスは楽しそうに身を乗り出す。
「今度連れてって」
理永が横から淡々と言った。
「危ないわよ」
「夢くらい見させてよ」
ベラトリスは肩をすくめる。
由良はその様子を見て、少しだけ笑った。
小屋の中に、穏やかな時間が流れる。
風が窓を揺らす。
木々がざわめく。
理永は本を開き、由良はそれを覗き込む。
「これは?」
「古い魔法理論」
「聞いたことがありません」
「珍しい本だから」
二人はそのまま話し始める。
ベラトリスはその会話を横で聞きながら、なんとなく思う。
――この二人、案外話すのよね。
理永は基本的に無口だ。
人ともあまり関わろうとしない。
けれど由良とは、不思議と会話が続いている。
魔力の流れ。
世界の構造。
古い魔法の記録。
ベラトリスは途中から半分くらい理解を諦めた。
「……また研究会ね」
頬杖をつきながら笑う。
二人は気づいていない。
夢中で話している。
その様子を見ながら、ベラトリスはふと思った。
――仲いいわね。
そう思った瞬間。
ほんの一瞬だけ。
胸の奥に、小さな引っかかりが残った。
けれど――
ベラトリスは気にしなかった。
別に悪いことじゃない。
むしろ、いいことだ。
理永は昔から一人で研究ばかりしていたし、
こうして話せる相手がいるのは、きっといいことだ。
そう思う。
思うのだけれど。
なぜか――
ほんの少しだけ。
胸の奥が、ざわついた。
理由は分からない。
ただ。
なんとなく。
少しだけ。
変な気分だった。
――気にするほどのことじゃない。
そう思った。




