(3)触れる火
灰の塔の午後は、ゆっくりと静かに流れていた。
窓の外では風が草を揺らし、遠くで鳥の声が響いていた。
少女は机に向かい、また一枚、記録を書き終えた。
「対象:小石
変化:表面のひびがわずかに整う
持続時間:不明」
羽ペンを置き、少女はふぅと息を吐く。
机の上には、すでにかなりの量の紙束が積み重なっていた。
どれも似たような結果ばかりだ。
劇的な変化はない。
それでも――
少女は紙をめくりながら、眉を寄せた。
「……でも」
視線が記録の列を追う。
草。
石。
虫。
枝。
花。
どれも違う。
生き物も、そうでないものもある。
少女はふと手を止めた。
「……あれ?」
紙をもう一度見直す。
「生き物だけじゃない……」
ぽつりと呟く。
回復魔法なら、対象は生物のはずだ。
治癒や再生なら、命あるものにしか作用しない。
けれど自分の炎は違う。
石にも。
草にも。
虫にも。
同じように、わずかな変化が起きている。
少女はゆっくりと手の中に金の炎を灯す。
ゆらり、と小さく揺れる火。
「これ……」
炎をじっと見つめながら、小さく呟く。
「私の魔法って……」
少し考え、言葉を探す。
「生き物を治してるんじゃない……?」
指先の火が揺れる。
石を机の上に置き、炎をかざす。
変化はほとんどない。
それでも、石のひびはわずかに整う。
「……やっぱり」
少女は小さく息を吐いた。
「これ、対象を選んでないんだ」
その言葉に、背後でベラトリスの指先が止まる。
少女は気づいていない。
机に向かい、考え込んでいる。
「回復でもないし……修復でもない」
炎を見つめながら、少女は静かに続ける。
「もっと……」
少し迷ってから、言葉を探す。
「状態を整えるだけ……?」
「状態回復魔法……?」
「戻す力……?」
「でも、それなら時間操作?」
「……いや、戻らないものもあるし」
完全には理解していない。
だが、何かが見え始めていた。
ベラトリスは、少女の背中を見つめていた。
胸の奥が、わずかにざわつく。
(……まずいね)
小さく、心の中で呟く。
その思考の方向。観察眼。
どれも、よく知っている。
(あの子と同じだ)
遠い昔。
灰の机に向かい、記録を積み重ねていた一人の魔女。
世界の理に触れようとしていたあの子。
ベラトリスはゆっくりと息を吐く。
(あまりにも……似すぎている)
だが視線は、どうしても少女の手元に向かう。
金の炎は揺らぎながら、消えない。
少女はしばらく炎を見つめていたが、やがて小さく首を傾げた。
「……うーん」
まだ足りない。
何かが足りない。
その時。
窓辺に置いてあった小さな花瓶に目を止める。そこには、一輪の花が挿してあった。
少し元気がなく、花びらはわずかに垂れている。
少女は何気なく立ち上がり、花の前に立った。
そして――
指先の炎を、ほんの少しだけ近づける。
ゆらり、と金の光が触れると、花びらは、わずかに張りを取り戻した。
少女は満足そうに小さく笑う。
「……やっぱり少し元気になる」
それだけ言うと、何事もなかったように机へ戻った。
だが。
ベラトリスの背中に、ぞくりと小さな寒気が走る。
少女はただ、花を元気にしただけだ。
それだけのこと。
けれど――
その仕草が、あまりにも自然だった。
まるで、呼吸でもするかのように。
無意識にその力を使う少女を見て、ベラトリスは、ゆっくりと目を閉じる。
(……まさかね)
小さく首を振る。
灰の塔の中で、少女はまた机に向かう。
金の炎が、静かに揺れていた。
まるで――世界に触れるように。




