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『救済ではなく、継承の物語』― アストラル継承記 ―  作者: 龍の末裔
第42章|火と灰の研究
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(2)灰の魔女の戦い

第42章|火と灰の研究


(2)灰の魔女の戦い


昼前のことだった。


いつもは静かな山道に、慌ただしい足音が響いた。

少女が顔を上げると、塔の前に男が立っていた。


息を切らし、肩で呼吸をしている。

村の男だった。


「た、頼む……灰の魔女様はいるか」


戸口からベラトリスが現れる。

「どうした」


男は息を整えながら言った。


「村の外れに……魔獣が出たんだ。

牛を一頭やられた。

人も怪我してる」


少女は黙ってその話を聞いていた。

魔獣。

ただの獣ではない。

魔力に触れたことで変異した生き物。

力も、凶暴さも、普通の獣とは違う。


ベラトリスは男を見下ろした。


「どこだ」


「東の森だ。まだ村の近くにいる」


短い沈黙のあと、ベラトリスは振り返る。


「行くよ」


少女は小さく頷いた。


二人はすぐに山を下りた。


森に入ると空気が変わる。

湿った土の匂い。

折れた枝。

どこかに残る血の匂い。


村人が指差した先、木々の奥で何かが動いた。


低い唸り声。

姿を現したのは狼のような獣だった。

だが、普通の狼よりも一回り大きい。


毛並みは荒れ、目が鈍く光っている。

口元には乾いた血。


「これが魔獣……」

少女は一歩下がる。


ベラトリスは前へ出た。

その動きは静かだった。


魔法陣が足元に広がる。

銀灰色の光。

空気が震える。


魔獣が飛びかかった。


その瞬間――

硬い音が響いた。

見えない壁。

ベラトリスの前に結界が展開されていた。


魔獣は弾かれるように地面へ落ちる。


少女は目を細めた。


防御術式。

魔力の密度が高い。

術式の編み方が複雑だ。

衝撃を完全に受け止めている。


魔獣が唸り声を上げ、再び突進する。


今度はベラトリスが手を振った。

銀灰色の光が走る。

一瞬だった。

魔獣の体が大きく揺れる。

次の瞬間、地面へ倒れ込んだ。


森が静かになる。

少女はしばらく動かなかった。

目の前の魔法を思い返していた。


結界の強度。

術式の展開速度。

攻撃の精度。


どれも自分の魔法とは違う。

少女は自分の手を見る。

小さな手。

さっきまで炎を出していた手だ。


ベラトリスは振り返る。

「終わりだ」


少女は頷いた。


森の外では、村人たちが遠巻きに様子を見ていた。

魔獣が倒れているのを見て、安堵の声が広がる。

「助かった……」

「灰の魔女様、ありがとうございます」


ベラトリスはそれには答えなかった。

ただ言う。

「怪我人は」


男が慌てて前に出た。

「こっちだ」

村の端、小さな家の前に人が集まっていた。


腕を布で縛った男。

足を押さえている少年。

血の匂いがする。


ベラトリスは膝をついた。

回復の魔法が灯る。

淡い青銀の光。


傷口がゆっくりと閉じていく。


少女はその様子を黙って見ていた。

魔力の流れ、術式の形、治癒の速度。

全部、覚えようとするように。


そして静かに思う。

強い。

灰の魔女の魔法は強い。


守る力。

攻撃する力。

どちらも自分よりずっと上だ。


少女は自分の手を見る。

同じ魔法使いなのに。


自分の炎は不安定だ。

回復魔法も弱い。


ベラトリスが立ち上がる。

「もう大丈夫だ」


村人たちは何度も頭を下げた。


少女はその光景を見つめていた。


人が助かる。

それはとても良いことだ。

けれど少女の胸には、別の思いが残っていた。

自分の魔法では、まだ足りない。

守る力も、治す力も。


少女は静かに目を伏せる。

そしてもう一度、ベラトリスの魔法を思い返した。


その強さを、忘れないように。

いつか自分も辿り着くために。



村を離れ、山へ戻る道。

森の空気は静かだった。

さっきまでの騒ぎが嘘のように、鳥の声だけが響いている。


少女は歩きながら、先ほどの戦いを思い返していた。

結界の展開速度。 攻撃の術式。 魔力の流れ。

頭の中で何度もなぞる。


ふと、ベラトリスが足を止めた。

少女も立ち止まる。

枝の向こう。 木の根元で、山鳥が土をつついていた。


少女は小さく息を呑む。


ベラトリスは静かに手を上げた。 魔法陣が足元に広がる。

銀灰色の光が走る。


一瞬だった。


山鳥は小さく跳ねて、地面に落ちた。 羽が一度だけ震えて、動かなくなる。


森はまた静かになった。


少女はその場に立ち尽くしていた。


「……今の」


「食料だ」


ベラトリスは山鳥を拾い上げる。


「ちゃんと食べな」


少女は何も言わない。

自分の腹が鳴るのを、はっきり感じていた。


塔に戻る頃には、空は少し傾き始めていた。

ベラトリスは山鳥を少女に渡す。

「やってみろ」


少女は戸惑う。

「……私が?」


「食うなら、自分でやれ」

短い言葉だった。


少女は山鳥を見つめる。 さっきまで生きていた命。

羽はまだ温かい。


しばらく迷ったあと、少女は頷いた。


井戸のそばで羽をむしる。 指先に柔らかな羽毛が絡む。

胸の奥が少し重い。

それでも手を止めない。


火を起こす。

炎が小さく揺れる。

串に刺した肉が、ゆっくり焼けていく。

油が落ちて、火がぱちりと鳴った。

匂いが広がる。

少女の腹が、また鳴った。


ベラトリスは少し離れた場所からそれを見ていた。


やがて少女がぽつりと言う。


「……さっきの魔獣も」


「ん?」


「生きてた」


火を見つめたまま、少女は続ける。

「でも、殺した」


少し沈黙が落ちる。


ベラトリスは言う。


「この世界はね」


火の音が小さく響く。


「命が回っている」


少女は顔を上げる。


「回る……?」


ベラトリスは空を見上げる。


「死んだ命は終わりじゃない」


「土に還る。

土は草や木を育てる。

獣は草や木の実を食べて育つ」


少し間を置いて、静かに続ける。


「そして獣もまた命になり、

誰かの糧になる」


少女は火を見つめる。

焼ける肉の匂い。

自分の腹の空き。


「……輪廻」


小さく呟く。

ベラトリスは頷いた。


「だから、奪うなら忘れるな」


静かな声。


「その命で、お前は生きる」


少女は串を握る手を見つめる。

しばらく黙っていた。

そして小さく目を閉じる。

「……いただきます」

それから、肉を一口かじった。

熱い。

でも、美味しかった。

涙が少しだけ滲む。

それでも少女は、もう一口食べた。




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