(1)初めての火魔法
灰の塔の朝は、森よりも静かだった。
窓から差し込む光は淡く、石造りの部屋の空気はひんやりとしている。
鳥の声さえ、ここまで届くころには遠く霞んでいた。
7日の試練を経て、少女は灰の魔女の弟子になっていた。
塔の最下層の小さな部屋。
床には白い粉で描かれた円がある。
まだ少し歪んだ、未熟な術式。
その中央で、小さな少女が眉を寄せていた。
「……うーん」
少女――
腕を組み、真剣な顔で円を見つめる。
「もう一回……」
小さく呟くと、しゃがみ込み、指先で線をなぞった。
「火の精よ、形を与える」
言葉を慎重に区切る。
昨日、何度も書き取った詠唱だ。
魔力を集める。
胸の奥を意識する。
――ぽん。
小さな音がした。
しかし現れたのは火ではなく、
ほんの一瞬の火花だけだった。
「……あ」
そして、消える。
少女はしばらく固まってから、がっくり肩を落とした。
「また失敗……」
額に少し汗がにじむ。
もう何十回目か、わからない。
塔に来てから三日。
最初の課題は、火魔法だった。
一番基本。
一番簡単。
普通の魔女なら、半日でできると言われている。
「……私、才能ないのかな」
ぽつりとこぼす。
その言葉を、背後の影が聞いていた。
石壁にもたれ、静かに腕を組んでいる。
灰色のローブ。
長い髪。
塔の主――
ベラトリス。
彼女は口を挟まない。
ただ見ている。
少女は拙くも線を引き直す様子を。
何度も詠唱を確認する様子を。
小さな失敗に肩を落とす様子を。
――諦めない。
その一点だけが、変わらない。
少女は立ち上がり、深呼吸した。
「……もう一回」
足を円の中央に置く。
「火の精よ」
指先を掲げる。
「形を与える」
魔力を集める。
今度は焦らない。
ゆっくり、静かに。
胸の奥の灯りを掬い上げるように。
指先へ。
――ぽっ
小さな火が生まれた。
少女は一瞬、息を止めた。
「……え」
揺れる火。
掌の上に浮かぶ、小さな炎。
炎の色は、淡い光を帯びた――
金色。
柔らかく、温かい光だった。
少女は目を丸くする。
「……できた」
信じられないように呟く。
炎はまだ小さい。
指先ほどの大きさ。
それでも、確かに火だった。
「師匠!」
振り返る。
「できました!」
嬉しそうに手を差し出す。
火はふらふら揺れている。
その光が、部屋の石壁に金色の影を作った。
ベラトリスは、動かなかった。
視線は炎に落ちている。
――金。
胸の奥で、何かが静かに軋む。
遠い記憶。
笑い声。
風に揺れる髪。
同じ炎。
かつての親友、原初の魔女の火。
一瞬だけ、目を閉じる。
しかしすぐに視線を戻した。
「……そう」
声は、いつも通り静かだった。
「初歩としては合格ね」
理永はぱっと笑う。
「ほんとですか!」
「ええ」
ベラトリスは歩み寄り、炎を見下ろす。
揺れる金の火。
幼い魔女は、誇らしげに言う。
「キラキラしてるけど……普通の火ですよね?」
その問いに、ベラトリスは一瞬だけ沈黙した。
ほんの刹那。
そして答える。
「ええ」
淡々と。
「普通の火よ」
炎は、静かに揺れていた。
まるで――
まだ何も知らないように。




