(5)七日間の試練 ― 前編
夜明け前、少女は塔を出た。
振り返らない。
振り返れば、きっと弱くなるから。
朝露に濡れた石段を降り、 扉は閉じられた。
灰の魔女は、扉を閉じ物思いに考え込む。
――帰るという選択肢を、あの子は最初から持っていない様にみえた。
七日……
森は静かだった。 だがその静けさは優しさではない。 遠くで枝が折れる音。風に混じる獣の匂い。 湿った土は体温を奪っていく。
子どもに与えるには長すぎる時間だ。 だが短くもある。
森の冷たい空気、湿った土の匂いが少女の肺に入り込む。
「七日間、生き延びる」
それだけを胸に刻む。
塔の上階、割れた窓辺に灰の魔女は立っていた。
視線は静かに、森の奥へと向けられている。
助けない。
手も貸さない。
これは試練だ。
――あの子が、どこまで“自分で立てるか”。
少女はまず、水場を探した。
旅の経験が役に立つ。苔の向き、土の湿り、鳥の飛び立つ方角。
やがて小さな沢を見つける。
両手ですくい、喉を潤す。
それだけで、少し生き返る。
「……よし」
強がりでも、声に出す。
その日のうちに、簡素な寝床を作った。
落ち葉を集め、枝を組み、風を避ける形を整える。
夜はすぐに来る。
森の闇は深い。
塔の中で感じる夜とは違う。
遠くで獣の遠吠えが響いた。
少女の肩が震える。
だが逃げない。
火打石を打ち、火花を起こす。
術式を小さく描き、炎を安定させる。
揺れる火を見つめながら、膝を抱えた。
怖い。
けれど、泣かない。
塔の上から、灰の魔女はそれを見ていた。
術式は未熟。
火力も弱い。
それでも――判断は的確。
「……合格点、ではある」
誰に聞かせるでもなく呟く。
二日目。
罠を仕掛けた。
小型獣用の簡易なものだ。
だが、結果は空振り。
焦りが出る。
食料は限られている。
野草だけでは体力は持たない。
三日目の朝。
罠に小さな鳥がかかった。
少女は息を呑む。
手が震える。
命の重みが、指先に乗る。
「……ごめんね」
小さく呟く。
少女はしばらく動けなかった。
手が震える。
やがて、唇を噛みしめる。
そして――
鳥の首を締めた。
涙は落ちなかった。
ただ、唇を強く噛む。
泣いてしまえば、きっと手が止まる。
その夜、初めてまともな食事を得た。
火の前で、静かに食べる。
生きるためだ。
塔の窓辺で、灰の魔女は目を細めた。
優しさだけでは、生きられない。
それを、あの子は理解している。
四日目。
森に慣れ始める。
水の位置。
安全な木の根。
風向き。
少女の動きが、少しだけ滑らかになる。
小さな魚を捕まえた。
火も、昨日より安定している。
食事を前に、少女はほんの少しだけ笑った。
その笑みは、誇らしげだった。
塔の上で、灰の魔女は視線を逸らす。
あの笑みを、知っている。
強くあろうとする顔。
それはかつて、柔らかな光をまとった親友が浮かべたものと、どこか似ていた。
胸の奥が、わずかに疼く。
――まだ分からない。
生き延びることと、守ることは違う。
夜が落ちる。森の奥で、何かが鳴いた。
空気が変わる。嵐の匂いがする。
少女は空を見上げる。
雲は厚い、風が強まる。
火が揺れる。
四日間、生き延びた。
だが試練は、これからだ。
塔の最上階。
灰の魔女は、静かに呟く。
「そろそろ折れるだろう」
胸の奥で、かすかな願いが芽生えていることに、まだ気づかないふりをした。




