(2)信号の下
(視点︰湊)
講義が終わると同時に、湊は立ち上がった。
誰かに呼び止められる気配があったが、振り返らない。
今は、軽口を叩く気分じゃない。
校門を出る。
春の風が少し冷たい。
事故があったという交差点は、大学から歩いて十分ほどの場所だった。
特別な場所じゃない。
学生も、社会人も、毎日当たり前のように通る道。
信号はいつも通り点滅している。
車も流れている。
何も起きていない顔をしている。
――なのに。
歩道の端に、かすかに色が残っていた。
アスファルトに染み込んだ、くすんだ赤。
完全には消えきらない、薄い痕。
湊の足が止まる。
風が吹く。
サクラ色の髪が、ふわりと揺れた。
「……」
声は出ない。
ただ、目が離れない。
昨日、ここで。
理永が倒れた。
その場に由良がいたのかどうか、
湊は知らない。
教室にいなかった。
連絡もない。
それが、妙に引っかかる。
湊はしゃがみ込み、地面に指先を近づけた。
触れない。
触れないまま、距離を測るように手を止める。
血は、乾いている。
もう温度はない。
それでも。
まるで、まだ何かがそこに残っているかのように。
胸の奥が、ひどくざわついた。
事故。
そう聞いた。
それ以上の説明はない。
だが――
湊は、ゆっくりと瞬きをする。
「お前ら……」
冗談交じりに続けるはずの言葉が、出てこない。
不思議だった。
あの二人は、いつだって中心にいた。
勝手に空気をかき回して、
勝手に周囲を巻き込んで、
勝手に、また元に戻る。
だから今回も、どこかでそう思っている。
数日すれば戻ってくる。
「悪かったな、心配させて」
由良がそう言って、
理永が呆れた顔をする。
そんな光景が、まだ捨てきれない。
湊は立ち上がる。
視線を信号へ向ける、信号は青に変わる。
人々が流れるように渡っていく。
何も知らない顔で。
時間は、止まらない。
「……変だな」
ぽつりと零す。
胸の奥に、わずかな違和感が残る。
由良は、そこにいたはずだ。
理永の隣に。
あいつが、目を離すはずがない。
守れなかった―― そんな形で終わるはずがない。
理由は分からない。
だが、胸の奥に何かが引っかかったまま離れない。
湊はもう一度だけ、赤い痕を見た。
そして、ゆっくりと背を向ける。
足取りは、普段と変わらない。
ただ――
その瞳だけが、ほんのわずかに冷えていた。




