(3)内側の動揺
図書室は、いつもと同じ匂いがした。
紙と、インクと、静かに流れる時間の匂い。
由良は窓際の席に座り、分厚い本を開いている。
理永は向かいに腰を下ろした。
ページをめくる音だけが、規則正しく続く。
落ち着くはずの空間。
それなのに、胸の奥がまだ重い。
視線が、文字を追いきれない。
同じ行を、何度も読み返していることに気づく。
「理永?」
小さな声。
顔を上げると、由良がこちらを見ていた。
「今日は、少しぼんやりしてる」
責めるでもなく、ただ確かめるような言い方。
「……そうかな」
笑おうとして、少しだけ遅れる。
ほんのわずか。
自分でも分かるくらいの遅れ。
由良の目が、その一瞬を見逃さなかった気がした。
「昨日、あまり眠れなかった?」
その問いに、胸がひりつく。
眠れなかったわけじゃない。
眠った。
夢を見た。
けれど――
「変な夢、見ただけ」
軽く言ったつもりだった。
けれど、声が思ったより低い。
由良は、興味本位ではなく、静かに続きを待っている。
理永は少しだけ迷う。
言葉にしてしまえば、何かがはっきりしてしまいそうで。
「……誰かが、いなくなりそうで」
気づけば、そう言っていた。
自分でも驚く。
そんな内容だっただろうか。
はっきり思い出せないはずなのに。
由良の指が、本の端で止まる。
「いなくなる?」
「うん。たぶん。止めなきゃって思ってたような」
そこまで言って、理永は視線を落とす。
胸の奥が、また重くなる。
どうして、あんなに必死だったんだろう。
夢の中で。
誰かを救おうとしていた気がする。
――あれは、誰?
不意に、夢に出てきた“魔女”の姿が頭をよぎった。
孤独で、責められて、追い詰められて。
誰にも理解されなかった存在。
もし。もしあれが、自分だったらと。
その想像に、胸にひりつく。
同情?
違う。
もっと近い。
もっと、切実な何か。
「理永」
呼ばれて、はっとする。
由良は、いつもの穏やかな顔をしている。
けれどその目は、ほんの少しだけ真剣だ。
「無理しなくていい」
その言葉に、なぜか胸が締めつけられた。
無理なんて、していないはずなのに。
理永は小さくうなずく。
「大丈夫」
言葉にすると、ほんのわずかに空虚だった。
ページをめくる音が、また響き始める。
静かな図書室。
けれど理永の内側では、
何かが、静かに輪郭を持ち始めていた。




