(1)湿り気のある夜
初夏の空気は、春よりも重かった。
昼間は晴れていたのに、夜になると湿り気を帯びて、肌にまとわりつく。
窓を開けても風はぬるく、カーテンだけが頼りなく揺れている。
大学では、三年生向けのインターン説明会が続いていた。
夏休みは就活の前哨戦。
まだ少し先の話のはずなのに、空気はもうどこか張りつめている。
昼休み、食堂で湊が声を潜めた。
「そういえばさ、卒業した先輩から聞いたんだけど」
どうせまた大げさな話だろうと思っていた。
「去年のインターン先の会社さ、最終日まで働いてたのに、後から調べたら存在してなかったって話」
「は?」
理永は笑った。
けれど湊は珍しく真面目な顔をして続けた。
「最終日、残業してた先輩がさ。誰もいないはずの廊下の奥に、人が立ってるの見たって。振り返った瞬間、消えたらしい」
「……それ、普通に怖いじゃん」
「まだあるよ」
湊はさらに声を落とす。
「インターンに行った会社がさ、ある日忽然と消えたって話」
「消えた?」
「ビルはある。でも会社の名前がどこにもないらしい。大学の紹介リストにも、履歴が残ってなかったって」
笑い話のはずなのに、妙に具体的だった。
「まあ、都市伝説だろうけどさ。就活シーズンの恒例らしいよ。『会社選び間違えると人生消えるぞ』っていう警告的なやつ」
最後はいつもの調子に戻ったけれど、
理永の胸の奥には、なぜかその話が引っかかっていた。
―――――――――――――――――――
夜。
ふと、由良の部屋で見た
ローチェストの上の宝石箱を思い出す。
机に向かっても、文字が頭に入ってこない。
湿った空気がまとわりつき、寝苦しさがじわじわと広がる。
送風機をつける、けれど生温い風がジメッとしていて静かに体力を奪う。
胸の奥が、落ち着かない。
昼間の話のせいだろうか。
消えた会社。
いないはずの人影。
未来に向かっているはずなのに、
ふと足元が抜けるような感覚がする。
そのとき。
指先に、ひやりとした感覚が走った。
汗ばんだ手とは不釣り合いな、冷たい気配。
まるで一度、水に触れたあとのような。
思わず手を見下ろす。
何もない。
部屋もいつも通りだ。
それなのに、胸の奥がざわつく。
「……気のせいだよね」
小さく呟く。
夜は深い。
音はなく、ただ湿気だけがまとわりつく。
眠ろうと目を閉じた瞬間、
かすかな軋みが、内側で鳴った。
「今夜は、なかなか寝むれないかも…」
まぶたの裏が、重くなる。
眠りは、浅く沈んでいく




