(2)小さな違和感
由良の家で過ごす時間は、思っていたよりずっと静かだった。
「ここ、どう思う?」
理永がノートを差し出すと、由良は椅子を寄せて覗き込む。
距離が、近い。
肩が触れそうで、触れない。
「論点はいい。ただ、ここは具体例を入れた方がいいかも」
真面目な声。
けれど、すぐそばで息がかかるだけで、理永の集中力は簡単に揺らぐ。
「……近い」
「近くないと読めない」
淡々としているのに、ほんの少しだけ口元が緩んでいる。
理永がわざと視線を逸らすと、由良は小さく息をついた。
「今は我慢」
「なにが」
「卒論終わるまで、余計なことしないって決めてる」
さらっと言う。
けれど、その“余計なこと”の意味はわかる。
理永の頬が熱くなる。
「誰も何も言ってないけど」
「言わなくても顔に出てる」
「出てない」
「出てる」
そんなやり取りのあと、結局ふたりは机に向き直る。
甘さはあるのに、きちんと線を引く。
それが今の距離だった。
机の端に積まれたノートに資料。
いつも決まった位置に置かれているマグカップ。
ふと視線を上げたとき、ローチェストの上の宝石箱が目に入る。
最初に見たときは、ただ「綺麗だな」と思っただけだった。
けれど、何度もこの部屋で時間を過ごすうちに、自然と視線が向くようになる。
古いものなのだと思う。
装飾は控えめで、色味も落ち着いている。
骨董品のような静かな佇まい。
それなのに、埃ひとつない。
高価そうではあるけれど、派手さはない。
ただ、そこにある。
まるで、ずっと前からそこにあるのが当たり前みたいに。
由良がそれについて話すことはない。
触れているところも見たことはない。
でも――
大切にしているのだろう、ということだけは、なんとなく伝わってくる。
何か思い入れでもあるのかな。
そう思うことはあっても、聞こうとはしなかった。
まだ踏み込まなくていい場所があることを、
理永はちゃんとわかっていた。
窓から入る春の風が、静かにカーテンを揺らす。
部屋は穏やかで、
時間はやわらかく流れている。
宝石箱もまた、何も語らず、
ただそこに在り続けていた。




