(2)距離が縮まる音
マグカップのミルクティーが、空になり
「おかわり、入れてくる」
由良が立ち上がりキッチンへ
その背中を、理永はぼんやりと見つめた。
由良の背中越しに、冬の光が揺れる。
その肩に落ちる淡い影が、やけに愛おしい。
——行かなくてもいいのに。
そう思った瞬間、胸の奥が小さく鳴る。
はっとして、後を追う。
キッチンで湯を足す音。
マグカップを置く、小さな陶器の触れ合う音。
濃いめの紅茶に、たっぷりのミルク。
甘い湯気が、ゆっくりと立ちのぼる。
由良が棚から皿を取ろうとしたとき、理永も同時に手を伸ばした。
指先が触れる。
「あ……」
声が重なる。
由良は、くすっと笑う。
「理永、顔赤い」
「う、うるさい」
胸の奥が熱い。
ほんの少し触れただけなのに。
由良はそのまま、自然に理永の指を包んだ。
ぎゅっと、ではない。
確かめるみたいに。
ここにいる、と言うみたいに。
「そんなに緊張してる?」
「……してるよ」
正直に言ってしまう。
由良の目が、やわらかく細まる。
そこに焦りはない。
試すような色もない。
ただ——
安心している人の目。
「俺は、してない」
そう言って、少しだけ近づく。
「理永が隣にいるの、もう普通だから」
その言葉にドキドキと胸が高鳴る。
普通、なんて。
特別よりも、ずっと深い。
胸の奥が、じんわりと温まる。
(ちゃんと、私を見てくれてる)
その確信が、理永の鼓動をゆっくりと整えていく。
由良の親指が、そっと指の背をなぞる。
くすぐったいのに、逃げたくない。
暖炉の火が、ぱち、と小さく鳴った。
距離が縮まる音。
それは大きな出来事じゃない。
けれど、確かに——
ふたりの間で、何かがひとつ、やわらかく結ばれていく。
由良が、そっと息を吐く。
「理永」
名前を呼ばれるだけで、胸が揺れる。
「なに」
「追いかけてきたでしょ」
図星で、言葉が詰まる。
由良は笑わない。
からかわない。
ただ、少しだけ嬉しそうに目を細める。
「嬉しかった」
その一言が、静かに落ちる。
理永の喉が、きゅっと鳴る。
——行かなくてもいいのに。
さっき胸をよぎった本音が、今度はちゃんと形になる。
「離れたく、なかった」
自分でも驚くほど素直な声だった。
由良の指に、わずかに力がこもる。
強くはない。
でも、離さない強さ。
「俺も」
それだけ。
それだけなのに、十分だった。
窓の外では、冬の光が白く揺れている。
世界は静かで、冷たいはずなのに。
このキッチンだけ、あたたかい。
触れている手の温度が、
鼓動の速さが、
言葉にならない気持ちが。
恋は、こんなふうに育つんだ。
燃え上がるんじゃなくて。
隣にいることを、当たり前にしていくことで。
理永は、そっと由良の手を握り返す。
今度は、自分から。
小さな勇気。
小さな決意。
由良がそれに気づいて、静かに微笑む。
「ありがとう」
なにに対してか、聞かなくてもわかった。
きっと——
ここにいてくれることに。




