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(1)
(視点:由良)
夕暮れ。日が沈み、蝉の声もまばらになった。少し冷え始めた空気に、由良は肩をすくめる。
足元をすり抜ける小さな影。三毛の毛並みが柔らかく光を反射する。
「ミケ、もう帰るのが早くなったね」
声をかけると、猫はにゃあと短く鳴き、床に丸くなった。
日常の小さな習慣。けれど、心は少し揺れている。
由良は、リビングのテーブルに置かれたグラスに目を向ける。
紅茶かアイスティーを作ろうか――そう迷う手が一瞬止まる。
(あの子は、今、何をして、何を思って、どんな顔をしているのだろう)
ふと、心に浮かぶのは、過去に出会った遠い思い出。
色や匂い、声まで今も思い出せる。
胸の奥が、ほのかに熱くなる。
無意識のうちに、理永のことと重ねてしまう自分がいる。
ミケがテーブルの脚にすり寄り、くすぐったいように足に触れる。
由良は小さく笑い、手を伸ばす。
(ああ……触れたい)
触れたい――その衝動が、心の奥でじわりと膨らむ。
まだ抑えられる、理性で押さえられる。けれど、確かに熱がある。
由良はゆっくりと手を下ろし、視線を遠くに泳がせる。
かつて焦がれた熱と、今目の前にある熱は違う。
それでも確かに、同じ温度を持っている。
——そして今のほうが、ずっと危うい。




