(3)心のざわめき
放課後の教室。
由良が女子と話している間、理永は自分の胸の奥に目を向ける。
―なんで、こんなに落ち着かないの。
普段は落ち着いていられるのに、今だけは違う。
指先が少しだけ冷たいのも、心臓が速くなるのも、自分でも驚く。
由良は相変わらず静かで、丁寧に対応している。
でも、理永には分かる。
その距離感――余計に心をくすぐる。
――あ、私……やっぱり、好きなんだ。
言葉にしなくても、胸の奥で確かに響く感情。
嫉妬したいわけじゃない。
でも、心がざわつく。
(ああ、ダメね...)
目の前の由良が、普通に他の人と接しているだけなのに。
理永はふっと、笑ってしまう。
――胸がざわつく
由良が振り返り、視線がほんの少し合う。
その一瞬で、理永の心がさらに熱を帯びる。
でも、まだ言葉にはできない。
静かに、でも確かに。
理永の心の中で、“好き”という色がじんわりと広がっていく。
「……どうしよう」
理永が小さく息を吐いた。
こんな気持ちは、初めてだった。
由良は女子との話を終え、席に戻る。
いつも通りの足取り。
静かな表情。
それなのに。
理永は目を逸らした。
――見ていられない。
胸の奥が、ひどく落ち着かない。
別に、何も起きていない。
由良は丁寧に接していただけ。
距離も守っていた。
それでも。
(あの距離に立つの、私でいたい)
考えた瞬間、喉の奥がきゅっと締まる。
自分でも驚くほど、幼い感情。
独占なんて、似合わないはずなのに。
ノートを閉じる音が、やけに大きく響いた。
その音に、由良が視線を向ける。
理永は気づかない。
俯いたまま、呼吸を整えるのに必死だった。
由良の蜂蜜色の瞳が、わずかに揺れる。
――そんな顔、するんだ。
いつも冷静な彼女が、
ほんの少しだけ、不安そうに眉を寄せている。
胸の奥で、何かがじわりと熱を持つ。
静かな感情。
けれど確実に、色を変える。
蜂蜜色の奥に、かすかな赤が滲む。
誰にも気づかれないほど、微細な変化。
由良は立ち上がる。
「理永」
低く、穏やかな声。
理永が顔を上げる。
その瞬間、由良はいつも通りの距離を保ったまま、静かに言った。
「……何かありましたか」
でもその瞳は、逃がさない色をしていた。
低く、穏やかな声。
理永は一瞬だけ言葉を失う。
近い。
距離は変わらないはずなのに、
空気が近い。
「別に、何も」
とっさに視線を逸らす。
胸が落ち着かないのを、見られたくない。
由良はじっと理永を見る。
ほんのわずか、沈黙。
「さっき」
静かな声。
「気にしていましたか」
「……何を?」
「女の子と話していたこと」
心臓が跳ねる。
そんなわけない、と言いたいのに、
声がうまく出ない。
「別に。課題のことでしょ」
できるだけ平静に。
でも少しだけ早口になる。
由良の目が、ほんのわずかに細まる。
「そうですね」
一歩、近づく。
本当にわずか。
けれど逃げ場はなくなる距離。
「必要なことだけです」
その言葉は、誰に向けたものなのか。
理永は息を呑む。
(何、それ……)
胸がまたざわつく。
でも。
「……私、帰るね」
理永は立ち上がる。
逃げるみたいに。
これ以上、揺れた顔を見せたくない。
由良はその背中を見る。
ほんの一瞬だけ、眉が寄る。
――逃げるんだ。
静かな苛立ちが、胸の奥で小さく灯る。
追いかけるべきか。
それとも。
数秒の沈黙のあと。
由良は鞄を持つ。
「送ります」
理永の足が止まる。
「え?」
「帰るのでしょう」
淡々とした声。
でも距離は詰める。
囲うほど強くない。
けれど、選択肢は減らす。
理永は振り返る。
蜂蜜色の瞳が、まっすぐに向けられている。
逃げ場は、もうない。




