表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
『救済ではなく、継承の物語』― アストラル継承記 ―  作者: 龍の末裔
第26章|世界は色づく
120/192

(6)触れない距離

「少し休憩しますか」


由良がペンを置く。


理永はほっと息を吐いた。


「はい……ちょっと頭が飽和してきました」


椅子から立ち上がると、由良は部屋を出る。


階下から、氷の音がする。


(キッチン……)


理永は少し迷ってから、後を追った。


広いキッチン。


生活感はあるのに、どこか静か。


由良は手際よくグラスを並べている。


透明な氷に、琥珀色の液体が注がれる。


「アイスティーです」


「……由良くん、料理するんですね」


思わず言う。


由良は少し考えてから、


「簡単なものだけです」


さらりと答える。


冷蔵庫には最低限の食材。


整っているけれど、凝った気配はない。


(ひとり分、だ)


なぜか、胸がきゅっとする。


グラスを受け取る。


ひやりと冷たい。


さっき手を握られたときの温度を思い出す。


「おいしい」


「それはよかった」


由良は向かいに立ったまま、グラスを傾ける。


距離が近い。


静かなキッチン。


窓の外では蝉が鳴いている。


「……」


理永はふと、思う。


この広い家で、

ずっとひとりで、

こうしていたのだろうか。


「今度、何か作りますよ」


気づけば口にしていた。


由良がわずかに目を見開く。


「理永が、ですか」


「はい。あまり得意じゃないですけど」


少し照れながら笑う。


ほんの一瞬。


由良の表情が、やわらかく崩れた。


「楽しみにしています」


その声は、いつもより低く、静かだった。


甘いわけじゃない。


でも確実に、何かが変わる。


まだ気づかないほど、わずかに。




グラスの中の氷が、からりと鳴った。


「……戻りますか」


由良が静かに言う。


「はい。もう少しだけ、まとめたいです」


ふたりで部屋に戻る。

さっきよりも、ほんの少しだけ空気がやわらかい。


机に向かい直し、理永はペンを握る。

“異種族との共存”。

さっきよりも、言葉が浮かぶ。


隣にいる存在が、抽象論ではなくなっているから。


「この一文、どう思いますか?」


ノートを少しだけ寄せる。

肩が触れそうな距離。

けれど、触れない。


由良は静かに読み、短く頷く。


「いいと思います。理想論ではありますが、誠実です」


「理想でも、書かないと始まらないですから」


小さく笑う。

その声に、由良もわずかに目を細めた。




やがて、窓の外の光が薄くなっていく。

橙から、群青へ。


「……そろそろ帰りますね」


名残惜しさをごまかすように、理永が言う。


「送ります」


即答だった。


荷物をまとめ、階段を下りる。

玄関の扉が開くと、夕方の空気が肌に触れた。

昼間よりも少し涼しい。


並んで歩く。

今度は、手は繋がれなかった。


触れそうで触れない距離のまま。


「今日は、ありがとうございました」


「こちらこそ。レポート、間に合いそうですか」


「はい。由良さんのおかげです」


街灯がぽつり、ぽつりと灯る。


家の前で足を止める。


「……また、おじゃましてもいいですか」


言ってから、少しだけ照れる。


由良は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせ、それから穏やかに頷いた。


「いつでも」


それだけで、十分だった。


「おやすみなさい」


「おやすみなさい」


玄関の扉を閉める直前、振り返る。


門の前に立つ由良の姿。


静かにこちらを見ている。


その距離が、少しだけ切ない。


部屋に戻り、カーテンの隙間から外を見る。


まだ、そこにいる。


胸の奥が、静かに熱を帯びる。


(手、繋がなかったな……)


少し残念、それでも。


今日の距離は、昨日より確かに近い。


ゆっくりでいい。


この時間が、壊れなければ。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ