(2)偶然の作り方
図書館の陽射しは、思ったよりも柔らかかった。
窓際の席。
彼女が座る位置は、三日前から分かっていた。
利用時間。 借りる本の傾向。 来館の間隔。
すべて、静かに観察していた。
嫌悪はない。
罪悪感も。
ただ、確実に辿り着きたかっただけだ。
由良は一冊の本を手に取り、向かいの席へ腰を下ろす。
ページをめくる音。
紙の匂い。
そして、彼女の体温。
これほど近い距離は、初めてだった。
顔を上げれば、すぐそこにいる。
喉が渇く。
血ではない。
もっと、別の飢え。
だが、顔には出さない。
吸血鬼は衝動に任せない。
「……その本、面白い?」
自然な声量。 柔らかい口調。
完璧だ。
彼女が顔を上げる。
目が合う。
その瞬間。
胸の奥で、何かがほどけた。
ああ、と。
こんなにも簡単に、満たされるのか。
彼女が少し戸惑いながら笑う。
その表情を見られただけで、 今日ここへ来た意味は十分だった。
それでも。
表情は穏やかに保つ。
近づきすぎない。
彼女が警戒しない距離で、 彼女の世界に入る。
それが大事だ。
図書館を出たあとも。
街角で。 バス停で。 雨の帰り道で。
すべて偶然に見えるよう、 時間を合わせ、位置を選び、気配を消す。
彼女は笑う。
「また会いましたね」
その言葉を聞くたび、 胸が静かに震える。
また。
その響きが、こんなにも甘い。
だが、由良は微笑むだけだ。
「奇遇だね」
本当は違う。
奇遇などではない。
必然にするために、 どれだけ夜を使ったか。
けれど、それを伝える必要はない。
彼女が自然に笑ってくれるなら、 それでいい。
選ぶのは彼女でなければならない。
仕組んだことなど、 永遠に知らなくていい。
由良は隣を歩きながら、 視線をほんの少しだけ落とす。
幸せだ。
それを自覚した瞬間、 かすかに怖くなる。
失えば、きっと耐えられない。
だからこそ。
焦らない。
奪わない。
導くだけ。
彼女が自分を見つける、その日まで。
「……またね」
彼女が手を振る。
由良は静かに頷く。
胸の奥でだけ、 その言葉を何度も反芻する。
また。
何度でも。




