(6)言えない言葉
駅前の時計塔の下、
理永は何度も深呼吸を繰り返していた。
「今日こそ、ちゃんと言うんだから」
バッグのストラップをぎゅっと握りしめる。
約束の時間の少し前、
雑踏の中にあの琥珀色の髪が見えた瞬間、理永の心臓はドキドキと激しく脈打つ。
「待たせたね」
「ううん、今来たところです!」
由良はいつも通り、穏やかな微笑みを湛えている。
今日こそは。
そう思っているのに、
いざ歩き始めると、
喉まで出かかった
「好き」という言葉が、
どうしても形にならない。
街は活気に溢れ、二人の間には絶え間なく話し声や音楽が流れている。
「由良くん、あの……」
「ん?」
足を止めてこちらを覗き込む由良。
蜂蜜色の瞳に理永が映る。
それだけで頭が真っ白になり、理永は慌てて視線を逸らした。
「あ、あの、
今日のネクタイ……
じゃなくて、髪、すごく綺麗だなって!」
「……ありがとう。理永に褒められるのは嬉しいよ」
由良は少し意外そうに、でも嬉しそうに目を細める。
ああ違う。
そんなことが言いたいんじゃないのに。
カフェに入っても、公園を散歩しても、チャンスは何度もあった。
けれど、由良が優しく微笑むたびに、理永の胸には
(もしこれを言って、今のこの幸せな時間が壊れてしまったら...)
という怖さが生まれてしまう。
(ダメだよ、私。しっかりして……!)
夕暮れ時。二人は並木道のベンチに座っていた。
辺りはオレンジ色から深い紫へと溶け込み始めている。
由良の横顔が、影に溶けて消えてしまいそうなほど静かで、理永は焦燥感に駆られた。
「由良くん……私、由良くんと会ってから、毎日が不思議なんです」
震える声で、理永は絞り出した。
「図書館で会ったあの日から、ずっと……ずっと、言いたかったことがあって」
由良がゆっくりとこちらを向く。
その表情は、すべてを悟っているかのようでもあり、同時に何かをひどく恐れているようにも見えた。
「理永」
由良が静かに名前を呼ぶ。
その声の響きがあまりに優しくて、
理永の瞳にじわりと涙が浮かんだ。
「私、あなたのことが……」
「好き」という、たった二文字。
けれど、それを口にする直前
由良がそっと理永の頬に手を触れた。
その指先は冷たかったけれど
理永の胸を痛いほど熱く焦がした。
「……言わなくていい」
由良の低い声が、理永の言葉を遮った。
「……」
拒絶ではない。
それは、何かを堪えるような、祈るような響きだった。
「まだ、言わなくていい。
……もう少しだけ、このままでいさせてくれないか」
理永は目を見開いた。
由良の瞳の奥に、切ないほどの孤独と、深い何かが混ざり合っているのが見えたから。
(どうして? 私はこんなに伝えたいのに……)
結局、その日も言葉は宙に浮いたままだった。
理永の「好き」という想いは、伝えられないまま胸の奥で熱く、重く、積み重なっていく。
でも、理永は気づいていた。
由良が自分の言葉を止めたのは、彼もまた、何かを必死に抑えているからなのだと。
夜の帳が下りる中、二人は繋がない手の距離を保ったまま、駅へと歩き出した。
告白できなかった悔しさよりも、彼の瞳に宿っていた「哀しみ」の正体が知りたくて
理永の心はさらに彼へと深く沈んでいくのだった。
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(視点:由良)
人混みに消えていく理永の背中を、由良は見つめていた。
彼女が「好き」と言いかけたその瞬間、吸血鬼としての本能が、喉の奥で鋭く疼いたのを彼女は知らない。
由良は、ポケットの中で自分の右手を強く握りしめた。
そこには、先ほど彼女の頬に触れた冷たい指先が、今もなお彼女の熱を微かに記憶していた。
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