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勇者に恋した僕は、強くなるたび彼女を壊してしまう  作者: 小林南瓜
第一章 始まり

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8/9

幕間 勇者は、何も覚えていない

 目を覚ましたとき、天井が見えた。


 白くて、少しだけひび割れた天井。

 治療院のものだと、すぐに分かる。


(……あれ)


 身体を起こそうとして、胸の奥がわずかに重いことに気づいた。

 痛みというほどではない。

 ただ、息を吸うと、少しだけ違和感が残る。


「気がつきましたか」


 治癒師の声がする。


「はい……」


「少し立ちくらみのような症状が出ただけです。

 無理をしすぎましたね」


 無理をした、という自覚はある。

 でも、それ以上のことは、思い出せなかった。


「私……倒れたんですか」


「ええ。一瞬ですが」


 一瞬。


 その言葉に、妙な引っかかりを覚える。


 倒れる直前の記憶が、きれいに抜け落ちている。


 戦っていたことは覚えている。

 魔物を斬った感触も、仲間の声も。


 けれど、その“次”がない。


(……変)


 そう思ったが、口には出さなかった。


 勇者が理由もなく不安を口にするべきじゃない。

 それくらいは、分かっている。


 治癒師が部屋を出ていき、

 一人になる。


 胸に、手を当ててみる。


 鎧の下。

 心臓は、いつも通りに打っている。


 何も、おかしくない。


 なのに。


 胸の奥に、説明できない引っかかりが残っていた。


 まるで、大切な何かを

 落としたまま歩いてきたような感覚。


(……気のせい、だよね)


 自分に言い聞かせる。


 勇者は、立ち止まらない。

 前を向いて、進み続ける。


 それが、選ばれた役割だ。


 扉がノックされる。


「……シュン?」


 彼が、立っていた。


 少しだけ、顔色が悪い。


「気分は?」


 そう聞かれて、少し安心する。


「うん。もう平気」


 嘘じゃない。

 本当に、身体は動く。


 でも、彼の様子が、どこかおかしかった。


 視線が、微妙に合わない。

 言葉を、選んでいる。


「……何か、あった?」


 自然に、そう聞いていた。


「いえ」


 即答だった。


 でも、その速さが、逆に引っかかる。


(……隠してる)


 責めたいわけじゃない。

 ただ、理由が知りたかった。


 けれど、彼はそれ以上、何も言わなかった。


「無理、しないでください」


 その言葉が、妙に胸に残る。


「……シュン?」


「……いえ。なんでもありません」


 小さく笑う。

 でも、その笑顔は、どこか遠い。


 彼が部屋を出ていく背中を、見送る。


 扉が閉まった瞬間、

 胸の奥が、きゅっと締め付けられた。


(……離れていく)


 理由は分からない。

 何が起きたのかも、分からない。


 それでも。


 彼が、少しずつ遠ざかっていく予感だけは、

 はっきりとあった。


 夜。


 宿に戻り、剣を磨く。


 いつも通りの手順。

 いつも通りの動作。


 なのに、集中できない。


 シュンの姿が、何度も浮かぶ。


 一緒に戦ったときの、剣筋。

 確かに、前よりも強くなっていた。


 それが、嬉しかった。


 なのに。


 強くなった分だけ、

 彼が遠くに行ってしまう気がした。


(……変なの)


 怖いわけじゃない。

 痛いわけでもない。


 でも、このまま進めば――


 何かが、壊れてしまう。


 そんな予感だけが、

 胸の奥に、静かに残っていた。


 勇者として前へ進むことに、迷いはない。


 それでも。


 彼の背中を、

 このまま見失ってしまう気がして――

 ほんの少しだけ、立ち止まりたくなった。

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