第六話 追いつけない背中に、手を伸ばした
街の北門が、いつもより騒がしかった。
「勇者様が来るらしい」
「魔物の群れを追ってるって話だぞ」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。
その言葉を耳にした瞬間、胸の奥が強く跳ねた。
――カレン。
名前を知ってから、
意識しない日は一日もなかった。
訓練場の帰り、剣を腰に下げたまま北門へ向かう。
理由は考えない。
足が、自然と動いていた。
門の外には、人だかりができていた。
その中心に、赤いマントが見える。
間違えようがなかった。
以前よりも、ずっと遠い存在に見える。
鎧には無数の傷があり、立ち姿には一切の隙がない。
それでも。
剣を構える、その一瞬の所作は、
森で見た時と変わっていなかった。
(……やっぱり、強い)
追いついた、なんて思えない。
でも、ただ見上げるだけの距離でもない。
そんな曖昧な感覚が、胸に残る。
そのときだった。
森の方角から、複数の唸り声が響いた。
「来るぞ!」
誰かが叫ぶ。
小型の魔物が数体、門の外へなだれ込んでくる。
冒険者たちが構えるが、陣形が整う前に一体が抜けた。
一直線に、門の脇へ。
「――っ!」
考えるより先に、身体が動いていた。
剣を抜き、踏み込む。
初陣で得た感覚が、そのまま再現される。
剣先が、狙い通りに魔物を捉えた。
一撃。
確かな手応え。
倒れる魔物を横目に、さらに前へ。
気づけば、
同じ戦線に、カレンがいた。
「……!」
一瞬、彼女の視線がこちらに向く。
驚き。
それから、すぐに戦士の顔に戻る。
「無理はしないで!」
「はい!」
声が、思ったよりもはっきり出た。
背中合わせではない。
並んでいるとも言えない。
それでも。
同じ戦場に立っている。
その事実が、胸を満たした。
最後の一体を、カレンが仕留める。
迷いのない一閃。
魔物が倒れ、周囲に安堵の息が広がった。
その瞬間――
頭の奥で、
これまでとは違う感覚が弾けた。
溜まっていた“余白”が、一気に流れ込む。
剣へ。
身体へ。
――切り替わる。
視界が、安定する。
重心が、自然と定まる。
(……来た)
確信があった。
剣の感覚が、一つの区切りに到達した。
数値が見えなくても分かる。
ここが、一線だ。
剣を収め、深く息を吐く。
「……シュン?」
名前を呼ばれて、我に返る。
目の前に、カレンが立っていた。
「あ……」
一瞬、言葉に詰まる。
「久しぶり」
その声は、勇者としてのものではなかった。
「無事そうで、安心した」
胸の奥が、熱くなる。
「はい。カレンも……」
「剣、選んだんだね」
視線が、腰の剣に落ちる。
「……はい」
一瞬、言葉を探す。
「あなたを、見ていたから」
それ以上は言えなかった。
カレンは、少しだけ困ったように笑った。
「そう」
責めるでも、褒めるでもない。
「でも、無理はしないで。
剣は……簡単じゃないから」
「分かってます」
本当は、全部分かっているわけじゃない。
それでも、今はそれでよかった。
周囲の安全が確認され、人々が散り始める。
カレンは剣を鞘に収めた。
「……私は、先に行くね」
胸が、小さく跳ねる。
でも、彼女はすぐに歩き出さなかった。
「また、どこかで会えると思うから」
約束ではない。
けれど、突き放す言葉でもない。
「……はい」
それだけで、十分だった。
赤いマントが、人混みの向こうへ遠ざかっていく。
追いついたとは言えない。
隣に立てたとも言えない。
それでも。
同じ戦場に立ち、
同じ時間を共有できた。
その事実だけで、胸の奥が静かに満たされていた。
――この幸福が、
ほんの一瞬のものだとも知らずに。




