①
ロシュベールの冬は冷たく長い。
それでも『神々の庭』と呼ばれるほど景色の美しいこの街には、ひっきりなしに観光客が訪れる。
特に、本格的な冬が始まる前のこの時期は。
湯気の立つ小鍋をゆっくりとかき混ぜると、今朝摘んだばかりのローズマリーとラベンダーの香りがキッチンにほんのり広がった。
カランカラン、と店先のベルが鳴る。
「今日はなかなか寒いね」
外から戻ってきたおばあちゃんがはぁ、と息を吐いて、肩についた雪を払った。
わたしは布巾で手元を拭いて、カウンターから声をかけた。
「どうだった?お祭りの準備は進んでる?」
「うん、街は活気だってるよ。市長邸の壁一面に立派な絵も描いてあったねえ。あんまりこの辺じゃ見ない顔の人も多くて、今年も観光のお客さんがたくさん来てるみたいだね――ああ、そうそう。来年に向けて街の真ん中の噴水を改装するとか……っ」
言いながら軽く咳き込んだので、慌てて駆け寄った。おばあちゃんはわたしの手を取り、暖炉前の椅子に腰を落ち着ける。
「ありがとうねえ」
わたしを見上げて優しく微笑む祖母の、その顔色の白さと弱々しさに少しだけ泣きたくなった。悟られぬよう、「うん!」と明るく声を作って、背を向けてキッチンカウンターに戻る。
それでも涙がこぼれそうで、わたしは「もうちょっとお花採ってくるね」と、上着とマフラーをひっつかみ裏口の扉から逃げ出した。
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今年初めて雪の積もった街は、確かに賑わっていた。赤や金の旗が軒先を彩り、通りを行き交う人たちは色とりどりの防寒具で着飾っていて、雪の白さにによく映える。大人たちはやいのやいのと雪かきをし、木製の飾りや屋台の準備を進め、その周りを子供たちがはしゃぎまわっていた。
ふふ、と笑みがこぼれ、一息つけば、澄んだ空気が胸をすうと満たして、ああ、本当にもう冬だ、とわたしはひとりごちた。
『次の冬まで、持てば上々でしょう』
去年の冬、ひどい風邪を拗らせてしまったおばあちゃんは、生死の境を彷徨った。なんとか回復したけれど、その病は年老いた体を酷く痛めつけたらしい。診てくれた医者に言われたその言葉は、頭の中にこびりついている。
『心配かけてごめんね』
体を起こせるようになって、申し訳なさそうに微笑んだ祖母に、わたしは「大丈夫だよ」と笑い返すしかなかった。表面上は元気になったいまでも、咳をするたび苦しそうに肺を抑える祖母に、なんと声をかけたらいいのかわからないでいる。
またじんわりと涙が出て、そっと拭った。
おばあちゃんは、大丈夫なふりをしているのだから、だから、わたしだって大丈夫なふりをしなくちゃ。
ふと、喧騒に我に返りわたしは顔をあげる。と、同時に硬い胸板にぶつかって、尻餅をついた。
「……っ」
「すまない」
差し伸べられた浅黒い手の先で、金色の瞳と目が合う——きっと太陽の光を燦燦と浴びて育った人だ、と思った。彫が深い顔立ちと、きらきらと輝く銀髪は、積もった雪にしんと冷えるこの街にはどうにも不釣り合いで、彼がこのあたりの人ではないことを明瞭に表していた。
「い、いえ、わたしこそ……! 全然前見てなくて、ごめんなさい」
慌てて自力で立ち上がり、雪をはらう。
昨日の夜降ったばかりの新雪はわたしをやさしく受け止めてくれたけど、代わりにスカートが濡れてしまった。下にたくさん着込んでいるので、別にどうってことないのだけれど、少々見た目がみっともない。
差し出した手の行き場を失くして、鋭い目が少しだけ右往左往しているのがわかった。
「あの、本当に、大丈夫なので!! すみませんでした」
「……そうか」
頭を下げると、彼は手を引っ込めて短くそう言った。歩き出す。
すれ違いざま、大荷物が目に留まって、その背に思わず声をかけた。
「あの!……旅人さん、ですか?」
男性は肩越しに振り返り、だったらなんだ、とでも言いたげに眉根を寄せる。
「今日、夜、吹雪くかもって、みんなが」
喧騒はそれが原因だった。
先ほどまで祭りの準備でにぎわっていた人々は、設営途中の旗や飾りを一度外し、抱えて建物の中へと消えていく。たしかに空には雪をはらんだ重たい雲が広がり始めているのだった。
「泊まるところとか決まってなければ、ホテル案内しますけど……どうですか?」
問えば、彼はわずかに目を細めて天を仰いだ。
「……問題ない」
一言告げ、歩き去っていく姿が、はらはらと舞う雪片に呑まれて遠くなっていく。
冷たい風に紛れて、わたしはひとつ、白い息を吐いた。




